ふたご座
不吉から祝祭へ
動的な書き換えの時
今週のふたご座は、『音楽漂う岸浸しゆく蛇の飢(うえ)』(赤尾兜子)という句のごとし。あるいは、これまでどこかで否定し抑圧してきた欲望を改めて迎え入れていこうとするような星回り。
「音楽漂う岸」という、明るくにぎやかで色んな意味でスポットライトの当たった表舞台と、「蛇の飢」という暗く獰猛で潜伏的な主体という、好対照な2つのイメージによって構成された句。
しかも、それらは強固な線引きによって静的に固定されているのではなく、「蛇」のイメージが「音楽」のイメージを今まさに「浸しゆく」、つまり動的に書き換えられようとしているのだと言う。
もちろん、これは現実に起こった出来事というより、作者の内面深くで起こっている地殻変動の予感をすくい取り、それに形を与えたものに違いない。ただそれにしても、うねうねと水中を泳いで岸へといたり、そのやかましい音楽を呑み込まんとしている「蛇の飢」とは一体何なのか。
自分でも自覚できていなかった世間への違和感や、「こんなものはもうたくさんだ」という不満が積み重なって、いつの間にか腹の底から響いてきた怨み節のようなものだろうか。
知的で物分かりのいい(ふりをしている)人ほどそういうものを無視しようとするが、放った蛇は大きくなって必ず自分のもとへと戻ってくるということなのかも知れない。
6月14日にふたご座から数えて「心の奥底」を意味する4番目のおとめ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、秘かに培ってきた怨み節をどこかで炸裂させていく機会を得ていくべし。
ドストエフスキー的な人びと
『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフにしろ、『地下室の手記』の「わたし」にしろ、ドストエフスキーの小説には、自己自身に対して異様に饒舌な人物がしばしば登場します。
彼らは世間から存在をまるきり否定されたり、自尊心を傷つけられるたびに、恐ろしいほどの言葉を費やして、見る自分(意識)と見られる自分(意識下)との対話を高速回転させ、自家中毒的に自意識をこじらせることで、一種の不吉なエネルギーを生み出していくのですが、教育学者の齋藤孝はこうした過程を「圧縮地下室づくり」と呼んでいます。
とらえがたい欲望などの身体知の世界である意識下の自分を、自分の存在感を高めるためのエネルギー源として積極的に話しかけ、そこから戻ってきた感触をまた言葉にしていくことで、納豆のような発酵した感じを自身でつくり出し、それを時おりこれという人にぶつけることで一種の“祝祭空間”を現出させるのです。
むろん、ぐーっと貯めこんだエネルギーを一気に放出させる訳ですから、うまくいけばそれは広義の意味でエンターテインメントにもなり得るかも知れませんが、多くの場合、それは人間関係に後戻りできない変容をもたらすでしょう。
今週のふたご座もまた、そうした稀有な祝祭体験をみずから求めていこうとする傾向が強く現われやすいかもしれません。
ふたご座の今週のキーワード
恐るべき饒舌