ふたご座
わんにゃん日和
犬は人間より賢いか?
今週のふたご座は、『霜を舐め尽くせと犬を放ちをり』(中山奈々)という句のごとし。あるいは、何かと他者に縛られている自分自身に解放令を出していくような星回り。
一読して、酔っぱらってんのか?と口を突きだしたくなるような一句。冬時の散歩道で、見慣れない霜にはしゃいだ犬が、ふがふが言いながら霜に喰らいつきにいっているのを見ているうちに、思わずテンションが上がってきたのかも知れない。
ご馳走じゃ。たんとめしあがれ。
もっかい行ってこい!
どうせなら、そこらじゅうの霜を舐めつくしてみろ。
これは飼い犬への命令であると同時に、すっかり飼いならされてしまった自分自身への呼びかけでもあるはず。すなわち、世間や他人からの視線や家族の呪縛でがんじがらめになりがちな小利口で頭でっかちな人間への解放令でもあるのではないか。もし先の命令を、もう少し人間向けに直すとすれば、こんなのはどうか。
犬食いじゃ。片っ端から喰い散らかせ。
ふらふらしてこい!
どうせなら、思いつく限りの無意味なことをやってみろ。
1月26日にふたご座から数えて「トレーニング」を意味する3番目のしし座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、たまには野生に帰る犬を見習ってみるべし。
賢治の山
先の句は一種の幻視体験を詠んだ句とも解釈できますが、宮沢賢治にとってちょうどそれに近い体験について書いたであろうもののひとつに、『東岩手火山』というとても長い詩があります。
この詩は「月は水銀 後夜の喪主(ごやのもしゅ)」という謎めいた呪文のような言葉の繰り返しから始まるのですが、これは賢治が生涯その眺めのもとで暮らした岩手山へと、月を仰ぎながら眺めながら登っていく際の意識変容そのものを歌ったものでしょう。
ドアをくぐる決定的な瞬間は、一定の高さ(標高)と、そこで聞こえてくる鳥の声の2つの条件がそろった時に訪れる。その部分を抜き出してみましょう。
鳥の声!
鳥の声!
海抜六千八百尺の
月明をかける鳥の声、
鳥はいよいよしつかりとなき
私はゆつくりと踏み
月はいま二つに見える
「海抜六千八百尺」とはおおよそ標高2000メートルのことで、岩手山の標高が2038メートルなので、頂上付近に差し掛かったことを表しています。
高みに登れば登るほど、意識はよろめき、異次元を生み出す回路が開かれていく。山の懐深くで賢治が「二つの月」を幻視したように、今週のふたご座もまた理性のタガを外して魂の原風景を幻視するためのスイッチを押していくべし。
ふたご座の今週のキーワード
動物的存在へと自分を純化していくこと