ふたご座
土のにおいのする語り手へ
スー族と出会った白人
今週のふたご座は、インディアンの通り名の命名法のごとし。あるいは、アウトプットを通して自身が生きようとしている世界観を再確認していくような星回り。
『ダンス・ウィズ・ウルブス』(1990年)というアカデミー賞をとった映画がある。ケビン・コスナー演じる主人公の白人の兵士は、アメリカ西部の辺境の誰もいない砦に赴任してきて、1人でそこに立て籠もって守っているうちに、そこにやってきたスー族のインディアンと仲良くなって、どんどん精神的なインディアンになってしまい、「狼と踊る男」という通り名まで与えられる。
1匹の狼が砦のまわりをウロウロしていて、主人公がそれと魂の交流をするようになり、ある日、狼と一緒におどる。それをインディアンが遠くから見ていて、そういう名前をつけたのだ。映画ではそうしたインディアンとの出会いや交わりが印象深く描かれているのだが、周辺的事実としてスー族たちの名前のつけ方がじつにおもしろい。
例えば、「蹴る鳥(キッキング・バード)」という印象的な人物がいたり、「風になびく髪」という若者がいたりする。後者は英語だと「Wind in his hair」なので、「髪のなかの風」というニュアンスもある。いずれも、世俗的な動きを感じさせると同時に、トーテミックでもあって、自然界と人間の連続性のなかでひとりの人間のいのちの在り様が決まり、名前もそれに応じて確定されてくるのだという彼らの世界観がよく表れている。
つまり、その人間がもっている自然界との親和性を言葉として取り出したものが、彼らの通り名だったわけだ。同様に、1月21日にふたご座から数えて「自分なりの哲学」を意味する9番目のみずがめ座へと冥王星が移っていく今週のあなたもまた、どんな世界観に基づいて身近なものに名前をつけているのかがおのずとあぶり出されていくだろう。
拘束具から脱する
例えば、明治時代におこった言文一致運動は「話し言葉を書き言葉として定着させるもの」であり、それだけ聞くと、ごく当たり前のことようにも思われる。
しかし、明治期以前の日本では、話し言葉は一つではなかった。土地土地の生活や、身分に応じた生育環境を反映させる言葉(=方言)をしゃべっていたのであり、お国言葉や訛りなどないはずの東京に生きる人々は、さまざまな方言を話す異なる人種の集合体だった。
つまり、言文一致運動とはそれまで必ず何らかの形で日本人が背負ってきた「生活属性」を捨てることで、「普遍的な語り手」にならんとする試みに他ならず、さらにその「誰でもない人間」の性別は暗黙裡のうちに男性に設定されてきたわけだ。
標準語を駆使してよりよい「語り手」になることは、「誰でもない男性」に同化することに他ならず、近代的なパースペクティブがさまざまなところで行き詰まり、破綻してきている今の時代において、「通りのいい言葉」である言文一致的な標準語は、ある種の「拘束具」と化しているのではないだろうか。
今週のふたご座もまた、自分の身の丈に合わせた、自分にとって心地よく感じる言葉の使い方や名前の付け方を少しでも取り戻していくことがテーマとなっていくはず。
ふたご座の今週のキーワード
自然界と人間の連続性のなかで