ふたご座
障害が救済に
幸運はどこからやってくる?
今週のふたご座は、脳髄のなかで母を呼ぶ声なき声のごとし。あるいは、変質してきた問いの震源を辿りなおしていこうとするような星回り。
「あらゆる思想の発端は、例外なく精神のかすかな障害に対応している」と書いたのはシオランでしたが(『悪しき造物主』)、できて当たり前のことが周りと同じようにできなかったり、持っているのが普通のものを持っていなかったりすることは、社会一般では問答無用に不幸なことと見なされるものです。
しかし、そうした社会における当たり前の基準を満たせないことや、普通でいられなくなってしまうことは、苦悩と伴うという意味では確かに不幸なことではありますが、こと精神の領域においては、例外なくひとつの幸運と言えるのではないでしょうか。
苦しむとは、問いを立てることであり、すなわち難産の果てに新たな思想を生み出していく創造的な過程に他なりません。そして、不幸には挫折感だけでなく自尊心もつきものですが、それらは「たまたま」であるとか「もののはずみ」というものの入る余地がない一方で、幸運にはすべからく精神にとって思いがけない展開が用意されており、そこで人間精神はやはり例外なく“問いの変質”を経験していき、それこそが問いが思想へと育っていく契機となる訳です。
その意味で、この世の思想はすべからく不幸と苦悩によって育まれ、障害と欠落から誕生していくるのだとも言えるかもしれません。12月5日にふたご座から数えて「心の支え」を意味する4番目のおとめ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自分なりの「かすかな障害」を見つめなおしてみるといいでしょう。
彼岸的な力との接触の印
例えば、現代の小説とは対照的に、昔話や神話では内心の悪も善も内面に秘められる代わりに、ただ外面に身体的欠陥として現れることがほとんどです。というより、のっけから欠陥や障害の外見をこれ見よがしにひけらかして登場してきたりすることが多く、評論家の種村季弘は『畸形の神』の中で、そうした傾向について次のように言及しています。
口伝承文芸学者マックス・リューティーによるなら、「昔話の主人公は欠けたところのある存在」である。だから欠陥の外見は、当面は隠されている最終場面における価値の逆転のための伏線となり得る。「醜さや障害が作品の美に転換していることがあり得るというこの信仰に、昔話や神話は満ちている」
この「最終場面における価値の逆転」とは、例えば「足のおそい者がはやい者を捕らえる」といったものであり、物語序盤での足の麻痺や欠陥、ないし下半身の身体的束縛は、リューティーによれば「善にしろ悪にしろ、彼岸的な力との接触の印」なのであり、「昔話や神話では、このようにしばしば障害は治癒の、場合によっては優越性の前提となることがある」のだそうです。
今週のふたご座もまた、昔話や神話によって脈々と伝えられてきた「悪が善に、束縛が解放に、障害が救済に」といったように、どんでん返ししていく「魔術的」な能力や文脈の力を、どこまでみずからに取り込んでいけるかが問われていくことになるでしょう。
ふたご座の今週のキーワード
「あらゆる思想の発端は、例外なく精神のかすかな障害に対応している」