ふたご座
わが身の苦労を讃えよう
一茶の膝小僧
今週のふたご座は、『膝がしら木曽の夜寒に古びけり』(小林一茶)という句のごとし。あるいは、自身の“古色蒼然”ぶりに深く見入っていくような星回り。
作者50代前半頃の晩秋の作。「夜寒」は夜更けになると感じられる寒さで、日中は感じられない寒さが、夜になると冷えて際立つさまをいう。
別に、「山の夜寒に」とした句もありますが、「木曽の夜寒」の方がより現実を厳しく見据えている感があって、間が抜けていません。掲句は一見すると、わが身の衰えを感じて淋しくなっているようにも受け取れますが、それにしては全体がどこか昂然としています。
むしろ、夜寒のなかに突きだした、おのれの膝小僧を見て、ふと長いこと頑張ったなあ、傷跡や肌のくすみがかえって黒々と底光りしているぞ、とでも言いたげです。
若い頃はパトロンの家に転がりこんだり、身一つで借家を転々とし、その後、継母と弟と足かけ13年にも及ぶ骨肉の遺産争いの末に、中年を過ぎてやっと土地と家とを持ち、妻と子を迎えることができた苦労人の作者にとって、「膝がしら」はそんな過酷な人生の伴走者であり、見届け人のように感じられたのかもしれません。
10月6日にふたご座から数えて「等身大の身体性」を意味する2番目のかに座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、年季をへていよいよ底光りしはじめたわが身をそっと労わる時間を持っていきたいところです。
日常のその先を見つめて
肉体労働をしながら39歳で著作を発表し、「沖仲士(おきなかし)の哲学者」と呼ばれたエリック・ホッファーは、7歳で母が死に18歳で父が死んでから天涯孤独の身でした。
彼は後年「本を書く人間が清掃人や本を印刷し製本する人よりもはるかに優れていると感じる必要がなくなる時、アメリカは知的かつ創造的で、余暇に重点をおいた社会に変容しうるでしょう」(インタビュー「学校としての社会に向けて」、1974)と述べていますが、これは現代の日本社会においても同じことが言えるかも知れません。
私たちは生きている。そして働いている。しかし一方で、自分自身の置かれた状況を嘆き、暇があれば愚痴を言い、社会や上司や他人のせいにして、悪者探しと不幸自慢で一生を終えようとしているように見えますが、そんなことにはもうコリゴリだというのが今のふたご座の心境なのではないでしょうか。
ホッファーがかつてそうであったように、文化的で創造的な活動は、歩き、しゃがみ、持ち上げ、踏ん張り、こらえ、洗い、たたむといった日常の一連の動作と本来シームレスにつながっているはず。今週はそんなつもりで、自分の日常の向こう側にある来し方行く末に思い巡らせてみるといいでしょう。
ふたご座の今週のキーワード
膝小僧は愚痴を言う代わりに底光りする