ふたご座
井戸を掘る掘る、掘る
大地に穴をうがっていく
今週のふたご座は、井戸の深淵へとおりていくよう。あるいは、自分を自分たらしめている「深い根」を確かめていこうとするような星回り。
「バルカンのパスカル」と呼ばれた20世紀を代表する思想家エミール・シオランは肩書きによるカテゴリー以前に、一個の巨大な反抗者であり、私たち人間の業のような憎しみや残酷さなどをたじろぐことなく凝視した点において突出した存在でした。
たとえば、『悪しき造物主』と題された著書の「扼殺(やくさつ)された思い」という章では、「愛することではなく憎むことをやめたとき、私たちは生きながらの死者であって、もう終わりだ。憎しみは長持ちする。だから生の<奥義>は、憎しみのなかに、憎しみの化学のなかに宿っているのだ」と述べられていますし、残酷さについても、彼は「残酷さは私たち人間のもっとも古い特徴であり、私たちはこれを借りもの、にせもの、みせかけなどと呼ぶことはほとんどない。こういう呼称は、逆に善良さにこそふさわしい。善良さは新しい、後天的なものであり、深い根は持っていない」と言い切ってみせるのです。
こうしたシオランの悪への凝視は、この世は「悪しき造物主」がつくったものであるというグノーシス主義への彼の関心と深く結びついていました。彼は古代のグノーシス主義者の「人間はみずからを救済したいと思うなら、無知への回帰を果たすことによって、生まれついての自己の限界に戻らなければならない」という教えに沿うかのように、次のように書いています。
横になり、目を閉じる。すると突然、ひとつの深淵が口を開く。それはさながら一個の井戸である。その井戸は水を求めて目も眩むような速さで大地に穴をうがっていく。そのなかに引きずり込まれて、私は深淵に生をうけた者のひとりとなり、こうして、はからずもおのが仕事を、いや使命さえ見出すのだ。
15日にふたご座から数えて「心の基盤」を意味する4番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、こうしたシオランのなんとも静謐で、自己自身を見つめた言葉に沿って、おのが井戸に引きずり込まれていくべし。
デタッチメントの果てに
井戸ということで言えば、作家の村上春樹は『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』の中で、自分なりに小説を書いていくにあたって、当初は自分の中の小説の言葉を社会の事象から「離す」ことを考えていたが、次には物語の動力に身を任せることで小説の言葉を自分の意識世界から「脱させる」方向へと進むようになったと述べており、それを井戸の比喩を使って説明していました。
いわく、当初は井戸に入り、その底にこもろうとしていた。それが、途中で考えが変わったので外に出て人とまじわることにした、というのではない。そうではなくて、「『井戸』を掘って掘って掘っていくと、そこでまったくつながるはずのない壁を越えてつながる」そういうデタッチメント(分離)の果てにあらわれる「コミットメント」のありように自分は惹かれたのだ、と言うのです。
これは、少々乱暴に置き換えてみると、個人的な無意識を掘り下げ、意識を解体していったら、ある種の集合的な無意識の領域にまでつきぬけて、そこから広い場所へ、つまり自分事としての社会や時代への関心へとおのずとつながっていくことができた、という話としても解釈できるのではないでしょうか。
今週のふたご座もまた、個人としての特殊性と時代の子としての普遍性が交錯していく中で、自分なりの問題意識がぽっこりとうまれてくることがあるかも知れません。
ふたご座の今週のキーワード
善良であるより、もっと残酷な人間になっていく