ふたご座
静謐さの密度
小声で綴られているからこそ
今週のふたご座は、『百日紅通る人なき時刻かな』(蓬田紀枝子)という句のごとし。あるいは、こちらの小賢しさを超えてくるものを受け入れていこうとするような星回り。
梅雨明けから9月の末頃まで真っ赤な花が咲き続けることから「百日紅(ひゃくじつこう/さるすべり)」という大層な名を与えられているこの花を、掲句では奇妙なほど“平熱”なまなざしで見つめている。
おそらく街路樹として咲いている様子を室内から見た光景なのでしょう。あえて賑わいを避け、人の気配が感じられない時刻に百日紅のような派手な花を見つめている作者のまなざしからは内省的な倦怠感がただよっています。
というのも、この句はコロナ禍で自粛が呼びかけられていた時期に詠まれたもの。しかし、室内に閉じ込められている物憂さを誰かどこかに乱暴にぶつける代わりに、そういう状況だからこそ見えてきた自分を持て余しているような百日紅の姿にじっと目を留めることで生まれた掲句には、おのずと詩情を湛えているように感じられるはず。
どれだけ人間側の「自粛」によって外界と生活が遮断されているかのように見えても、自然は生活の中に間違いなく入ってくるのです。それだけ、自然の猛威は凄まじい。こちらの手練手管をかならず超えてくる。そしてそういうことが、そっともれ出したような小声で綴られているからこそ、掲句の詩情は成立しているのかも知れません。
26日にふたご座から数えて「美学」を意味する6番目のさそり座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自分から積極的に働きかけていくのではなく、あちらからふっとやって来るものにじっとまなざしを向けていくべし。
黙って、笑わず、真摯に向き合う者
例えば、作家の小川洋子さんが、かつて新聞のエッセイのなかで、ある校閲部署を見学したときの印象を「神聖」と表現していたことがありました。
たしかに、ヌードグラビアのキャプションなんかであっても、校閲室ではみなお坊さんのように黙って、笑わず、真摯にゲラを読んでいて、時おり電動鉛筆削りのじょわーっという音が響くばかり。
でも、書き手だけでなくこうして他人の書きものに粛々とツッコミを入れていく校閲者がいてくれるおかげで、売り物としての本のクオリティは保たれ、ひいては文化が文化であり続けることができているのだと思うと、あながち先の印象は単なる印象をこえた、本質をついた鋭い直観であるように思われてきます。
そして、こうした意味での「神聖さ」というのは、先の句で表現された「通る人なき時刻」の百日紅に宿っていたものにも通じているのではないでしょうか。その意味で、今週のふたご座もまた、校閲室で仕事に向かう校閲者のごとく、できるだけ淡々とおのれのやるべきことに向き合っていくべし。
ふたご座の今週のキーワード
人がその心を打つのは、得体の知れない密度ゆえ