ふたご座
間近にあるもの
「ふだんの心」の再発見
今週のふたご座は、『ふだん着でふだんの心桃の花』(細見綾子)という句のごとし。あるいは、自分が自分であることをあらためて祝福していくような星回り。
「桃の花」には桜の花ほどの派手な華やかさはないものの、そのどこかかわいらしく鄙(ひな)びた美しさで嫁ぎゆく若い娘を祝福するものとされてきました。とはいえ、掲句を詠んだとき、作者は31歳。夫を結核で失い、自身も肋膜炎にかかって帰郷し、療養先で詠まれたものでした。掲句を詠んだときの心境について、作者自身の随筆から引用してみます。
私は平常心をこい願っているのだけれども全く時たまにしか訪れて来ない。しかし、ふとした時にそれを感ずることがある。ふだん着のままで桃の花を見ていた時、これがふだんの心だ、と思ったのである。自分の平常心は桃の花とふだん着がもたらしたのだった。(『俳句の表情』)
ここで補足することがあるとすれば、昔は花が咲くことを「花笑み」と言いました。桃が笑って、人が笑って……。そうした光景はやはり構えた心持ちからではなく、虚勢や背伸びのない「ふだんの心」があって初めて生まれてくるのでしょうね。
4月6日にふたご座から数えて「再誕」を意味する5番目のてんびん座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、ふとした拍子におだやかに笑える自分にかえっていけるはず。
「あ、そうだったのか」
ぼくたちはすこしも自分のもとにはいないで、つねに自分の向こう側に存在する。不安や欲望や希望がぼくたちを未来の方へと押しやり、ぼくたちから、現に(今この瞬間に)存在していることについての感覚や考慮を奪い去る(モンテーニュ『エセー』)
モンテーニュが指摘するこうした傾向は、現代においてより強まっていますが、ここには奇妙な逆説があるように思います。つまり、未来時のある到達点にいたりたいなら、本来足もとの大地を一歩一歩踏みしめていかなければそれはありえないのに、私たちは道を歩まず、道を知らずに、どこでもドアでいきなり目的地へたどり着くことを期待している。それは来たるべき未来どころか、むしろ反未来主義とさえ言えます。
間近にありすぎるもの(「今ここ」)は、かえって朦朧としてリアリティを感じないものですが、しかし着実に来たるべき未来(目的地)へ至る道はそこにしかありません。
その意味で、「ゆっくり行く者が、遠くへ行く」というイタリアのことわざは、今週のふたご座にとってよき指針となっていくでしょう。
ふたご座の今週のキーワード
花笑み