ふたご座
屋上屋を架す
野性味のある豊かさを
今週のふたご座は、香港ルーフトップのごとし。あるいは、無駄や猥雑さをあっけらかんと楽しむ余裕や余地をパブリックな領域において取り戻していこうとするよな星回り。
香港という都市は現在は中華人民共和国の統治下にありますが、150年以上もイギリスの植民地支配下にあった影響で、面積は狭くても街が高度に発展しており、高層アパートもおそらく世界最高密度で建てられている一方で、住民の経済格差も世界最大で、正式な許可なく黙認されている「屋上建築物」が半世紀以上も存在し、そこに低所得層や移民が集まっているのだそうです。
そんな香港の屋上家屋の生活を写真と図面と文章で紹介している『香港ルーフトップ』を見ていると、家屋の材料にはレンガやトタン、角材、ビニールシート、ベニヤ板、ロープなど様々な素材が使われていて、それらがあり合わせで調達されてきたことが分かります。
団地研究家の大山顕は、そうして近代建築の上に、きわめて原始的な建築が乗っている様子について、「まるで建築史の地層が逆転したような光景」だと表現しており、「近代以前の香港の街並みが、下から生えてきた近代のビルによって空中に持ち上げられ保存されているように見えないだろうか」とも述べています。
香港の屋上家屋には、こうした風景としての面白さに加え、何より日本社会からはとうに失われつつある「(家屋が)住み手によって改変されていく」高い自由度と、そこに入り込む偶然性によってつくり出され、さまざまな文脈を経て生み出される野性的な豊かさが存在しているように思います。
2月20日にふたご座から数えて「職業的方向性」を意味する10番目のうお座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、ショッピングやグルメ情報ばかりの観光ガイドには決して載らないような、独特のカオスな香りをみずからの活動に取り入れてみるといいでしょう。
花文字のように
押しつけられた秩序を相手どって、一見それに従いながらも完全にはそれにハマらず、手持ちの材料やその場の即興で「なんとかやっていく」方法について分析してみせた『日常的実践のポイエティーク』の中で、ミシェル・ド・セルトーはその具体的実践として例えば「歩行」を取り上げています。
そこで本来は「言い回し」や「言葉のあや」に近い、古典修辞学における「文彩」を意味する「フィギュール」という言葉を「歩行」に結びつけ、「空間を文体的に変貌させてゆく身ぶり」と位置づけ、リルケの言葉を借りて「動く身ぶりの樹々」と言い表します。
こうした身ぶりの樹々は、そこかしこでざわめいている。その樹々の森は街を通って歩いてゆく。それらは次々と情景をかえてゆき、ひとつの場のイメージに固定されない。それでもあえてなにかの絵にあらわしてみようとすれば、それは(中略)黄緑色とメタリックブルーの花文字の数々、大声をたてずに低いうなり声をあげながら都市の地下に縞模様を描いてゆくあの花文字のイメージであろう。
それは都市計画で指示された首尾一貫した固有の意味を、あらぬ方向に吹き飛ばし、「ねじ曲げ、粉々にし」つつ、「それでも不動を保とうとする都市の秩序から何かをかすめとってゆく」のです。
今週のふたご座もまた、いまの自分に足りない予測不可能な動きをごく日常的な場面から取り入れてみるといいでしょう。
ふたご座の今週のキーワード
生き抜く知恵としてのだましやかすめ取り