ふたご座
うわのそら
案山子の瞬間
今週のふたご座は、グリューフィウスの『時を眺める』という詩のごとし。あるいは、骨身に染みながら妙に心地よい愉楽に身を任せていくような星回り。
若い頃は詩など読んでみても豚に真珠とばかりに何も心に入ってこないことの方が多いものですが、幾らか年月が経過してみると、不意に出会った詩からの風が通りすがりの軽き身に沁み、気付くと寒々しいだけのはずの骨がどこか花色に染まっている。そんなことが時どきあるものです。例えば、17世紀ドイツのバロック文学を代表するらしいグリューフィウスの「時を眺める」と題された短い詩。
時の奪い去った年々は わたしのものではない。
これから来るだろう年々も わたしのものではない。
瞬間はわたしのものだ。瞬間を深く想うならば、
年と永遠とを創られた御方は わたしのものだ。
最後の行の「年」は単数形。つまり、去年や来年や今年といった構造化され整えられた系列がある訳ではなく、ここにはただ「時間」という空っぽな器があるだけであり、いくら「わたしのもの」と叫んでみたところで、それを見つめる純然たる節穴としての「わたし」は、さながら骸骨でこしらえた案山子のように、一種張りつめた間を持て余しているに過ぎません。作者はそんなことは百も承知の上で、あえて「御方」といい、「瞬間」と言っているのでしょう。
16日にふたご座から数えて「心的基盤」を意味する4番目のおとめ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、必ずしも「しあわせ」ではないけれど、「魂」という定義不明な事態としての<私>に響いてくるような心地よさに身を浸していくべし。
雲を取り除く
もし今これを読んでいるのがコンクリートに囲まれた都心のマンションの一室だとしても、できれば今週は早朝に一度は外へ出て1~2分でもいいので遠くの空をじっと眺めてみることをお勧めします。というのも、屋内で何かを考えるだけでは過去や未来は呼び出すことはできても、「瞬間を深く想う」には適さないから。
雲は知っていない、
なぜ、この方向にこのスピードで動いていくのかを知らない。
しかし、空はすべての雲の秩序を把握している。
君達にもそのことがわかるだろう。
地平線の向こう側が見える程の高みに立った時には。
(リチャード・バック、『イリュージョン』)
空を見上げながら、ゆったりとした気分で心の中から「雲」を取り除いてみる。すると、雲なんて最初からなかったかのようにどこかへ消えてしまう。そんなとき、あなたは雲の向こう側に節穴としての自分を満たしてくれる「わたしのもの」を見出していくことができるはずです。
ふたご座の今週のキーワード
張りつめた間を持て余す自由