ふたご座
補償と因縁
定説に対する挑戦
今週のふたご座は、『暴王ネロ柘榴を食ひて死にたりと異説のあらば美しきかな』(葛原妙子)という歌のごとし。すなわち、因縁の重さをはかっていこうとするような星回り。
たぐいまれな暴君として恐れられたローマ皇帝ネロは、政敵にクーデターを起こされ、最期は逃亡先で自らの喉を剣で貫き自殺したとされています。
ところが、作者はこうしたネロの最期を、歌を通して「柘榴を食ひて」という異説のヴェールでつつまんとしているのです。それも、あちらは間違いでこちらが正しいのだと肩肘を張る代わりに、ただひとこと「美しい」とだけ言う。確かに、定説に対する挑戦はなにも実証主義的な裏づけばかりが唯一の手段ではない。むしろ、誰かが描いた1枚の絵のほうが説得力をもつことだってあり得るわけです。
なお、伝統的には「柘榴(ざくろ)」は女性器の象徴であり、「食う」ということは食べ物との同一化であり、すなわち「食われる」ということでもありますから、この場合、女性にまつわる因縁によって死んだのだとも解釈できます。
だとすれば、柘榴が表すのは息子を皇帝にするべく先代のクラウディウス帝を毒殺し、即位後も強くネロに干渉したために殺された母アグリッピナか、長年の不仲の末に最期はネロによって自害を命じられた妻オクタヴィアか、それともネロを動かしキリスト教を迫害させた説もある2番目の妻ポッパエアか、あるいは彼女たちとの因縁の総体でしょうか。
同様に、24日にふたご座から数えて「均衡」を意味する7番目のいて座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、自分にちょうどいい因縁というものは何かということをひとつ考えてみるといいでしょう。
同体異心
岡本かの子の短編小説に『秋の夜がたり』という作品があります。この作品は中年の両親が20歳前後の息子と娘に旅先で昔話をしているという設定で始まるのですが、いわく2人の母親同士はもともと友達で、たまたまそろって妊娠中に夫を亡くし、父親は女の子として、母親は男の子として育てることを合議して決めたのだと言うのです。
やがて男の子として育てられていた母親が初潮を迎えると、母親たちは事実を子どもたちに伝え、「なぜ」ということを聞き出すこともできず受け入れて成長していくも、女装した息子も「建築学を研究したい」と思うも奉公先で三角関係になり、乗馬に秀でていた男装の娘もやはり絶体絶命な状況となっていたため、そろって都を飛び出し、田舎で2人は自然と元の性にかえり、そこで夫婦として暮らすようになったのだとか。
そして、このお話について翻訳家の脇明子が「この女装の男の子もやっぱり少女なのではないか」という非常に興味深い指摘をしていて、この物語全体が「女はこうあるべきだという通念に従いながらも、そこにおさまりきらない心」を複数の人物(両親、娘、息子)に分裂させて描くために書かれているのではないかと続けているのです。
その意味で今週のふたご座もまた、一見そうは見えずとも実のところ自分の分身でもあるような他者との関わりの不思議に思い当たっていくこともあるかも知れません。
ふたご座の今週のキーワード
定説におさまりきらない