ふたご座
カタルシス!
神話的どんでん返し
今週のふたご座は、ディオニソスの儀式で唱えられた祈りのごとし。あるいは、しばらく溜めこんできた無意識的なものの意識化に一挙に突き進んでいこうとするような星回り。
古代ローマの著述家プルタルコスは、豊穣と酒と酩酊の神であるディオニソスのオルギア(陶酔的な礼拝)で唱える祈り、「来たれ、ディオニュソス、エリスなるそなたの神殿に、来たれ、カリスたち(美と典雅の三女神)とともにそなたの聖なる神殿に、牡牛の足もて荒れ狂いつつ」を報告しています。
ここに言う「牡牛の足」とは、男根の象徴であると同時に、跛(びっこ)の意味もあるそうで、後に悪魔の姿が片足を馬の脚をはやした姿で描かれるようになったのと同じニュアンスが既に込められていたことが分かります。
そもそも、「ニュオス」とはシラクサ語で「足萎え」を意味し、ディオスは「神」という意味ですから、ディオニュソスとは「跛の神」でもあった訳です。神話世界では、こうした身体的欠陥は、善にしろ悪にしろ彼岸的な力との接触のしるしであり、この背後にある力のために、最終的には「足のおそい者がはやい者をとらえる」という具合に、しばしば悪が善に、束縛が解放に、障害が救済に、どんでん返しの逆転劇が起きていった訳です。
つまり、先のディオニソスに捧げられた祈りの内容は、そうした彼岸的な力がこの世へと現われてくるその際(きわ)をまっすぐに見つめることのできる者ほど、大きなカタルシス効果を持っていたのかも知れません。
11月1日にふたご座から数えて「突き抜けていく先」を意味する9番目のみずがめ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな畸形の跛者の跳躍を脳裏に思い描いてみるといいでしょう。
過剰なる余剰
自然に存在するものを人が忠実に表現しようとするとき、そこには必ず過剰なまでの余剰部分が生じます。例えば、「丸い」ということを表すためには、円周率の小数点以下に永遠に割り切れないまま数を羅列させ続けねばなりません(有理数ではなく無理数になる)。
それは人間の中に巣食う自己中心的で破壊的な無明へと閉じていこうとする流れへの抵抗であり、そうした抵抗によってなんとか確保された余剰部分こそが、進化や創造をもたらしていく訳です。これがもし円周率を“3”で表現してしまったら、世界はその美しさを半減させ、人々の想像力は急速に退化するでしょう。
自らをまだまだ予測不可能で、創造の過程にあるものにしていきたいなら、円周率が割り切れない数字を打ち続けるように、過剰なまでに余剰部分を作り込むこと。今週のふたご座に何か伝えることがあるとするなら、ただただその一点に尽きるでしょう。
ふたご座の今週のキーワード
悪が善に、束縛が解放に、障害が救済に