ふたご座
ゆらぎつづける
身体の不可欠さの再確認
今週のふたご座は、「波の音、ざわめき、霧、微粒子の舞踏」のごとし。あるいは、「私」からの身体の排除を乗り越えていこうとするような星回り。
かつてドゥルーズという哲学者は、「私とは世界であり、世界は私である」ような連続性やねじれを孕んだ個(モナド)の在り様を、重層的に折り畳まれた「襞」のイメージとともに、次のように語ってみせました。
(…)それは対象のない数々の知覚であり、幻覚的な微細な知覚なのである。(…)これらは波の音、ざわめき、霧、微粒子の舞踏である。それは死や硬直症の、睡眠や入眠の、失神、目眩の状態である。あたかもそれぞれのモナドの底が、あらゆる方向に形成されては解体される無数の小さな襞の「屈曲」からなっているかのようだ。(『襞』)
個(モナド)は「波の音、ざわめき、霧、微粒子の舞踏」や「目眩」など、薄暗さや混乱を秘めたものであり、そうした闇に包まれた本性を展開するためにこそ、明晰な意識やそれが操る言葉だけでなく、身体やその覚束ない経験の数々を要請するのだと言うのです。
おそらく、精神の底に横たわる巨大な闇が、ますます露わになっている今の時代において私たちが求めているのも、意識の下部に潜りこんで微視的なものを開いていくだけの身体性であり、薄暗い場所から明るい位相を成立させるだけの魂のなだらかな連続性の体験なのではないでしょうか。
その意味で、18日にふたご座から数えて「生の実感」を意味する2番目のかに座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、明るさから暗さへ、また暗さから明るさへの波状的なプロセスのただ中に身を置いていくべし。
火を焚きなさい
人間は火を焚く動物であり、火を焚くことさえ自分でできるならば、それでもう人間らしい人間であるための準備は整っていると言えるのではないでしょうか。
派手なネオンに彩られた虚栄の街へと出かけ、そこで背中まで夕闇が迫って、必要なものとそうでないものの見分けがつかなくなったり、自分の価値を見失ってしまった時、私たちは再び自分の手で火を焚かなければなりません。
オレンジ色の神秘の炎を見つめ、その炎の奥の金色の神殿から、他の誰かに信じ込まされた物語ではなく、他ならぬ自分自身の裸の目と耳に響く、昔と今と未来の物語が聴こえてくるまで。あるいは、辺りに投じられた影の中に、在りし日の自分の姿や過去の栄光とも過ちとも言える光景を見出すまで。
したがって、焚き火というのはどうしたって仕事というより、遊びでするものとなります。そうして落葉がなくなったり、くすぶったりして火が消えそうになれば、また燃える材料を足したりつついたり、誰かから火種をもらったりして、火を守っていく。今週のふたご座もまた、そうして火遊びするのにふさわしい場所に足を運んでみるといいでしょう。
ふたご座の今週のキーワード
微視的なものを開いていく場としての身体