ふたご座
取り繕うのはもうたくさん
素直さと言語化
今週のふたご座は、『秋風に少し後れて笑ひけり』(山尾玉藻)という句のごとし。あるいは、だんだん素顔にもどっていくような星回り。
どこかもの寂しく、蕭々と吹いていく秋風。そんな秋風に接すると、人はどこかで本能的に焦りを感じて、置いて行かれないよう動いてしまうものなのかも知れません。
作者の場合、それがたまたま「少し後れて」から空笑いを浮かべるという形で現われ、あえてそんな自分自身の姿を詠んでみせたのでしょう。過ぎ去った夏と比べ、どことなく人と人との距離が離れて感じられ、空や街にも急に広々とした印象を与えていく秋風。
その行方を見定められず、途方に暮れる作者の顔は、ますます速度を増していく社会の移り変わりについていけず、どこかで茫然として気力を失ってしまっている現代人の素顔とも重なっていくように思います。
どれだけきれいな文言やイメージで表向きの顔を取り繕っても、いや取り繕えば取り繕うほど、心の奥底にある行き場のなさや虚しさは増していく。ならばいっそ、取り繕ったことを含めてそれを表現してしまえ。掲句はそんな思いきりの為せる業でもあったのではないでしょうか。
10日にふたご座から数えて「世の潮流」を意味する11番目のおひつじ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな一周まわった開き直りを試みてみるべし。
無意味さの感取
坂口安吾の『白痴』という小説は、戦時中を舞台に、戦意浮揚の国策映画をつくる会社に勤める27歳の凡庸な会社員である主人公の男の、奇妙な日常生活を描いています。
ある日突然家に転がりこんできた知的に障害のある女性と一緒に暮らし、空襲がきて、警報がなると、嬉々としてうろうろ逃げ回る。そこには、起伏にとんだストーリー展開もなければ、現代の私たちが泣いたり笑ったりするような感動や高揚や娯楽性もまったくありません。
ただ、途中に出てくる「ああ戦争、この偉大なる破壊、奇妙奇天烈な公平さでみんな裁かれ日本中が石屑だらけの野原になり泥人形がバタバタ倒れ、それは虚無のなんという切ない巨大な愛情だろうか」といった一文にあたっていると、ただただ奇妙な女との無意味な戦時下の生活が描写されているだけのこの小説の背後から、突如として「戦争もウソだし、戦後の平和もウソに過ぎない」といった確かなメッセージが浮かび上がってくるのです。
その意味で今週のふたご座もまた、どこかで今の自分の生活に流れている‟ニセの風潮”に対し、ひとつ明確なリアクションを取っていくことがテーマとなっていくでしょう。すなわち、「空虚」という精神的な問題に対していかに取り組んでいくかが問われていきやすいタイミングなのだとも言えます。
ふたご座の今週のキーワード
毛沢山