ふたご座
ふよふよ揺れる
半ば夕闇に溶けて
今週のふたご座は、『団扇(うちは)持ちてたそがれ顔の庵主かな』(長谷川零余子)という句のごとし。あるいは、これまでとは別の在り様へとシフトしていくような星回り。
日暮れを眺めているある家の主人が、団扇をもって静かにそこにいるというだけの一句。こういう句こそ誰でも思いつく平凡で陳腐な光景だと言われがちですが、「団扇持ちてたそがれ顔の」という表現の仕方にはある特別な力が宿っているように感じます。
というのも、こう表現することで、主人の顔にもうすく暮れの色がかかって、手に持っている団扇が家の中で庵主のかすかな手の動きと共に、ほの白く浮き上がって見えてくるという情景がはっきりと読む人に迫ってくるのであり、そこには確かに一脈の生命があるから。
その意味で「たそがれ顔の庵主」は、半ば夕闇に溶けかかってその本来の個別性を失っており、代わりに別の生命がそこに息づき始めているのだとも言えます。特定のsomebodyから、匿名のanybodyへ。そのきっかけは、「たそがれ」という時の移ろいに力んで抗する訳でもなく、積極的に身入れしようとするのでもない、静かでごく自然な受容性にこそあったのではないでしょうか。
その意味で9月4日にふたご座から数えて「他者との関わり方」を意味する7番目のいて座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、そうしたニュートラルな受容性を発揮していくことができるかどうかが問われていくはずです。
ふよふよ
オノマトペは、時にどんなに工夫をこらした言葉よりも、「よく分からないけどなんか分かる」といったすとんと腑に落ちる感覚や、言葉が直接染み込んでくる感覚を引き起こしていくことがあります。
中でも、風が草木を微かにそよがせる時の「そよそよ」とも、筋肉と何ら連動しない柔らかい肉が震えながら、その震えだけを波紋のように広げていく「ぷよぷよ」ともどこか異なる「ふよふよ」という言葉は、今のあなたをまさに象徴しているのではないでしょうか。
「ふよふよ」とは、例えばほとんど重さというものを欠いた小さな羽虫が微細に揺れ動くときの擬音語であり、はかなくて脆弱で、思わず後ずさりするような異質を秘めた、未知の振動体を予感させますが、おそらくそれに続く行動には戦略性や駆け引きといったものはほとんど含まれないでしょう。
それと同様、今週のふたご座もまた、自分でも不可解な名状しがたい消息を求めて、ふよふよと世に対していきたいところです。
ふたご座の今週のキーワード
透明な微細力をもって大勢の論理を超越していくこと