ふたご座
新しい風景を創り出す
写生の極意
今週のふたご座は、『顚落(てんらく)す水のかたまり瀧(たき)の中』(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、「見る」から「観る」へとスッと移行していくような星回り。
大阪の箕面の滝での作。「転落す/水のかまたり」という倒置法が用いられている他は、見えた景色をそのまま描いているさりげない句ですが、そこにきちんと写生と主観、観察と驚きとが両立している秀句と言えます。
「写生」という絵画の用語をはじめて文学に取り入れた正岡子規の衣鉢を継いだ作者は、「小主観(つまらない主観)」が入ることで句が濁るということを鋭く見抜いていた人でした。
しかしだからこそ、じっと風景を見ているうちにこちらへ働きかけてものが見えてきて、その発見を十七文字に活写できたとき、そこには自然と主観が宿るのだということもよく知っていたのでしょう。
さっと目の前を落ちていく何かが、水のかたまりであること、そしてそれがまさに滝の中を垂直に移動していく最中にあること。そこには、空間と時間の連続的な把握とがあり、何よりそこはかとない「水のかたまり」との一体感が感じとれるはず。
その意味で、6月7日夜にふたご座から数えて「心理的一体感」を意味する4番目のおとめ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、何気なく日常に転がっているものとこそ心通わせてみるといいでしょう。
庭へ入っていく「私」の不思議
T・S・エリオットの詩『プルーフロックの恋歌』において、「私」は小鳥の声に誘われ、促され、そこに響いているはずの「他のこだま」を探し求めて庭へと入っていくのですが、そこで不意に空っぽのコンクリートの池に太陽の光線が降り注いでいることに気付きます。
そして池は日光のためにできた幻の水で溢れていた
すると蓮は静かに 静かに浮かび上がった
水面は光の中心になってきらめいた
そして彼らはわれわれの後にいた 池に反射しながら
やがて一片の雲が過ぎた 池は空っぽになった
行け と小鳥がいった 葉の茂みは子供たちでいっぱいだから
感動しながら隠れ 笑いを殺している
実際、誰がこんなふうに庭に入っていったのか、詩では明らかにされていませんが、冒頭1行目が「それでは行ってみようか、君も僕も」とありますから、それは匿名の複数形であり、相手が男か女かも分からないし、そもそも本当にいるのかも分かりません。ただ、「静かに 静かに」蓮が浮かんでくるように、ここでは世界に溶け出し半ば一体化した「私」が立ち現れてくるのです。
今週のふたご座もまた、1つの内面と五感を備えた軽快なリズムによる移動を通して、いかにも自然に新しい風景を創り出していくべし。
ふたご座の今週のキーワード
小主観(つまらない主観)をそぎ落とす