ふたご座
ただ年齢を重ねるのでなく
平凡な痛みに貫かれて
今週のふたご座は、「蛼(こおろぎ)のなくやころころ若い同士(どし)」(小林一茶)という句のごとし。あるいは、上手な歳の重ね方を自分なりに追求していくような星回り。
文化七年。作者四十八歳のころの作。同じ年の作に「秋風やあれも昔の美少年」といった自身が重ねた年齢への感慨を詠んだ句がありますが、掲句はその裏返しの句と位置づけることができるでしょう。
ここで言う「若い同士」とは、男女のつれには限定しないで、広く若い仲間のあいだの関わりくらいに捉えておくといいかも知れません。こおろぎも、ころころ、ころころといい声でないているけれど、「若い同士」もまた笑ったり、かじりついたり、はつらつとしている。
「ころころ」という擬態語からは、あまり色気のようなものは感じないものの、透き通るようなみずみずしさや、カラッとした無邪気さやそこはかとないはかなさなど、ある年代に特有の質感やニュアンスが伝わってきます。
「あれも昔の美少年」などとも詠っていますが、若さ特有の質感やニュアンスを否定せず、美しい音色として感じ入るだけでなく、きちんとエールを送っているあたり、作者のような魅力的な歳の重ね方を真似していきたいものです。
9月7日にふたご座から数えて「落ち着き方」を意味する4番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、意地と諦念のちょうどいい塩梅を模索してみるといいでしょう。
恥を糧にして
掲句の作者は生涯で三万句近く詠んだことで有名ですが、詩人はなぜ、句や詩を詠み続けることができるのでしょうか。それに対する最も説得力のある鍵は「恥」の感情です。
つまり、ぬぐってもぬぐっても汚れの落ちきらない不快な傷跡だから、言葉で飾ってつかのまの安堵を求めるのであり、だから詩人の書き上げる句や詩の透明度は、詩人の人生の汚染度であり、言葉になった珠玉の数はすなわち恥の数に他ならないのだと言えます。
恥の上に恥を重ね、それを捨てることもできずずるずると引きずり、数えきれない恥を数珠のように繋ぎあわせながら、未練がましくそれを首に巻いて歩いていく。
……と、抽象的に書き出せばいくらか上等に聞こえますが、ようは喧嘩する度胸もなくてにやにや笑ってごまかしたり、人の憐れみにつけこんで何かものをもらったり、さんざん人を振り回しておいて悪気はないとうそぶいて最後は逃げてしまったりと、私たちの誰しもが持ち得るような、およそ平凡な痛みに貫かれているのが詩人の魂なのです。
恥があふれにあふれて、詩人の掌からこぼれ落ちたとき、それが砂金のようにきらめく詩篇や名句となっていく。「上手な歳の重ねる」というのは、もしかしたらそんな瞬間のことを言うのかも知れません。
ふたご座の今週のキーワード
珠玉の数は恥の数