ふたご座
虚飾と心情
怖いものは怖い
今週のふたご座は、「死を怖れざりしはむかし老の春」(富安風生)という句のごとし。あるいは、行く末を見つめるまなざしを深めていくような星回り。
数え年92歳のときに詠まれた句。作者はこの句に触れて「今年九十二艘(そう)と一歳だけサバを読んだことになる」と述べたそうですが、そうしたゆとりの中にありながら、それでも年老いた今あらためて死が恐いという率直な気持ちが込められています。
しかしながら、「怖れざりはむかし」とあるように、若い時期は誰もが死を恐れないのでいるのでしょうか。いや、そんなことはないはずです。若者には若者の死の恐怖があり、子供には子供なりの恐れがある。
むしろ、死と抗い生きようとする意志が強いだけに、かえってかすかな死の兆しや可能性が差し込んでくるだけでも敏感に反応してしまうところがあったのでしょう。作者も20代で結核を患い、療養生活を余儀なくされた経験がありましたから、そのことはよく分かっていたのだと思います。
ただ、今はもう死が間に迫って、抵抗する力もなくなってしまった。あとはもう来るものが来たら受け入れるだけ。それでも、やはり、怖いものは怖い。そういう一切の虚飾を捨てた心情が、若き頃への懐かしさとともに、ここでそっと提示されているのです。
13日にふたご座から数えて「到達点」を意味する10番目のうお座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、みずからの最終的な落ち着く先をなんとはなしに思い定めてみるといいかも知れません。
無一文で生まれ死ぬ
人間は誰しも手土産ひとつなしに、ただ命だけを授かってこの世に登場し、しばらくの間その授かった命一つを息吹かせたら、また何も持たずにこの世を去っていくもの。
しかし人間はそれだけでは心許なく感じる生き物でもあり、自分の中や周囲に身分や資格や名誉、習得した技術や資産、家族や友人、パートナーなどをまといつかせ、それらをまるで目に見えない衣装のように着込んで初めて安心できるのだと思い込んでいるようにも見えます。
古代ギリシャでは、前者のような“剝き出しの生”を「ゾーエー」と呼び、後者のような“社会的な生”を「ビオス」と呼んでこれらを区別しましたが、今週のふたご座もまた、通常は各々のなかで縫い合わされてすっかりごっちゃになってしまっているこの両者の区別を改めて迫られていくのだと言えるかもしれません。
すなわち、砦やバリケードのように強固な安心の拠り所であるかのように思えるビオスこそ、自分の溌溂とした魅力や創造性を奪う拘束服に他ならないのだということを、いかに悟れるかが問われていくのだということ。
今週のキーワード
出発点、そして到達点としてのゾーエー