ふたご座
アースにアースする
女神としての浅間山
今週のふたご座は、「春星や女性浅間は夜も寝(い)ねず」(前田普羅)という句のごとし。あるいは、居ずまいを正しておのれを律していこうとするような星回り。
掲句の重点は「女性浅間(にょしょうあさま)」という語にかかっており、火口から立ちのぼる噴煙が夜もうちなびいているさまを「夜も寝ねず」と感じ、何よりも冬の星でも寒星でもなく、どこか潤むような「春星や」という呼びかけと照応させていくことで、浅間山の生命感がより一層強く深く宿っていくように思われます。
俳句は実際の自然の景色を詠うため、必ずどこかに絵画的な要素がなくてはいけませんが、それはただ絵の題材がそこにあればいいという訳ではなく、例えば色彩だけではなく骨格がしっかりしていて、その上での肉付けでなければならず、さらにそこに生命感が流れているのでなければなりません。
同様に、浅間山がただ峻厳さをもって眼前に聳えているだけでなく、愛隣のこころに満ちて燃え続け、人びとを温かく抱き寄せ、またこれを育む母性としてそこに在ることを、掲句ほどごく自然に詠んだ句はそうそうないでしょう。
12日にふたご座から数えて「垂直軸を立てること」を意味する9番目のみずがめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、ただ知識をもっておのれを飾り立て、快楽原則的な反応に終始するのではなく、作者のような毅然とした気魄をもって自然や他者と向きあい、その内奥に感じ入っていく姿勢を心がけていきたいところです。
新しい関わり方の探究
村田沙耶香さんの小説『ハコブネ』の登場人物・千佳子は「人である以前に星の欠片である感覚が強い」という実感を抱えており、他の人たちは「永遠に続くおままごと」のような「共有幻想の世界」にあると感じていて、そのルールの最たるものが「性別」です。
彼女は「その外にいくらでも世界は広がっているのに、どうして苦しみながらそこに留まり続けるのだろう」と考え、性別を二元論で考え過ぎる他の登場人物に対しては「力が入りすぎるとね、身体もほどけないんだよ」と言葉をかけたりしています。
そして祖父から聞いた宇宙の話に基づき、太陽を「ソル」、地球を「アース」と呼んでいた千佳子は、肉体感覚ではなく「星としての物体感覚」を追求するうちに、やがて「物体として、アースと強い物体感覚で繋がる」という発想を思いつき、「ヒトであることを脱ぎ捨て」る道へと一気に進んでいきます。
すると、肉体そのものが消滅する訳ではないにせよ、認識において千佳子の臓器は「粘土」に、性器は「静かに水に流れ出て」いる「自分の中央にある水溜り」へと変貌し、彼女から出る水と熱が「アース」に流れ込み、その「ひんやりとした表面の温度と湿気」が千佳子に染み込んでくるという交流へと展開していきます。
千佳子は、ある意味で「ソル」を念頭に置いた脱・地球中心主義、脱・人間中心主義を垂直軸とすることで、「アース」やその表面で生きるヒトとの新たな官能性を探究しようとしているのだと言えるのではないでしょうか。
今週のふたご座もまた、<ここ>にはない何かを強く想像することを通じて、<ここ>を生きていくための手がかりを改めて見出していくことがテーマとなっていくでしょう。
今週のキーワード
「星としての物体感覚」の追求