ふたご座
出発点に立ち戻る
「われなし能う、ゆえにわれあり」
今週のふたご座は、幼児の言葉の発達のごとし。あるいは、明確に発話された言葉以前の身振りや所作によって構成される「全体的言語活動」に立ち返っていくような星回り。
デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」、この「思うわれ」を“てこの原理”として近代合理主義思想は出発していった訳ですが、問題はこの「思うわれ」を身体をもって現に生きている生身の人間にまで適用させてしまった点にあるのではないでしょうか。
そしてこの「意識は本質的に自己意識である」とか「他者とは私が彼にもつ意識にすぎない」といったデカルト的な考え方を鋭く批判していったのがメルロ=ポンティという人で、彼は幼児の言語活動を分析していくなかで「意識とは、原初的には、「われ思う(I think that)」ではなく、「われ能う(I can)」である」(『知覚の現象学』)という考え方を引き出していきました。つまり、私たちは明確な意識をもって物事を考え、それを伝えられるようになる前に、すでに身体を介して誰かと共に生きることができていて、それが人間の根本なのだということ。
幼児は、他者を模倣する前に他者の活動を模倣するものです。この最初の模倣は、幼児が他者の身体を構造化された行為の担い手として一挙に把握しているということ、そして幼児が自分自身の身体を、ある意味をもった身ぶりを実現するための恒常的で全体的な能力として経験していることを前提にしています。つまり、模倣は他者の行動の把握と、自己のがわでは観想的ではなく運動的なるものとしての主体、フッサールの言う「われなしあたう」としての主体を前提にしているのです。(『意識と言語の獲得』)
21日にふたご座から数えて「自分でも他者でもない無意識領域」を意味する12番目のおうし座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、身体をもってとにかくまず生きているという現実を第一義とした上で、そこで「身につけた」ものを大切にしていきたいところです。
新しい言語を獲得するつもりで
例えば、最初はうまく吹けなかった口笛も、家や道端で何度も練習していくうちに、だんだんと身についてくるものですが、最終的にその成否を分けるのは、圧倒的な量でしょう。
英語の習得にも最低2000時間の勉強時間が必要になってくると言われていますが、その際もまず最初に圧倒的な量を積み上げていくことができるかどうかが、上達や習得の分かれ目になってくるそうです。
そういう意味では、今週のふたご座にとってもっとも避けたい事態は、いろいろ手を広げすぎて中途半端に終わってしまうこと。何かこれと決めたなら、できるだけ毎日そのための時間を作って、量を積み上げていくことを大切にしていきましょう。
今週のキーワード
母語の獲得以前の私