ふたご座
戦慄と僥倖
水没予定地のうた
今週のふたご座は、「暁紅(ぎょうこう)に露の藁(わら)屋根合掌す」(能村登四郎)という句のごとし。あるいは、救いを求めていこうとするような星回り。
掲句は1955年に作者がひとりダム建設のための水没の運命にあった飛騨白川村を旅したときに詠んだもの。ダム建設には猛烈な反対運動が展開されましたが、7年に及ぶ補償交渉の結果、1957年には工事が着手され1961年に竣工しています。
作者はむろんそうしたことも念頭に置いて水没前の白川村を訪れ、露深い草の生えた森を抜けたところに忽然とあらわれた、大きな茅葺き屋根の合掌作りの民家から、朝の炊煙がほのぼのと立ちのぼっていたと、自句自解で述べていました。
そんな作者の目には、屋根の形そのものが、そこに長く住み暮らしてきた人たちの祈りの手となって見えたのでしょう。もうまもなく水没することが半ば決まっている家の、何かを静かに希求する姿に、「ほとんど戦慄に近い感動で立ち尽くした」とも書いています。
その跡地に建設された水力発電専門の御母衣(みぼろ)ダムは、その安定した電力供給によって日本経済の発展と治安維持の両面を支えてきましたが、その恩恵の陰には地元住民の大きな犠牲が付随してきたのです。
13日にふたご座から数えて「変わりゆく運命」を意味する8番目のやぎ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、自分が失っていくであろうものと、それによって逆に得ていくだろうものとが交錯していくのを自然と感じていけるはず。
垂直的な柱を立てる
白川村におけるダム建設もそうですが、この“受け入れていかざるを得ない”という感覚は、これまでやってきたことの繰り返しや惰性的な日常の中に、何か垂直性のものが突き立って、そこから新しい神聖な空間が新たに開かれていくというイメージにも近いかも知れません。
より能動的に言えば、それはゆるやかな流れの断絶であり、殺害。与えられた自然な素材を「切って」、ここから新しい宇宙が開けてくるここぞという特異点を見出し、そこに柱を置いて、空間を立てていく訳で、例えば『創世記』では、そうした行為のイメージを次のように描写しています。
天地開闢の初め、大地は混沌として漂い、まるで水面に浮ぶ脂のようだった― 一説では、水に浮かぶ魚のごとくであった、あるいは、水に漂うクラゲのごとくであった。そこに突然、一つのものが出現したのである。その形は葦の芽のようであった。
これから、どこに、どんな垂直的な精神を立てていくのか?今週はそうした問いを踏まえた上で、しっかりと腹をくくり、行為の開始点を見つけていくといいでしょう。
今週のキーワード
特異点の見極め