ふたご座
境界を生きる
旅する女性の系譜
今週のふたご座は、さながら家出娘の矜持のごとし。すなわち、自分なりのホーム(居場所)を、自分の手と足で見つけ出していくような星回り。
「日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉も失わなければ結婚もできる」
「ヨーロッパでは財産は夫婦の間の共有である。日本では各人が自分の分を所有している。時には妻が夫に高利で貸付ける」
「日本では、しばしば妻が夫を離別する」
「日本の女性は夫に知らせず、好きな所に行く自由を持っている」
「一日でも幾日でも、ひとりで好きな所へ出かける」
これは、1562年に日本に来て世を去るまで35年間滞在した宣教師ルイス・フロイスの『日欧文化比較』から数節を引用したものです。
キリスト教徒としての強い宗教的倫理から批判的に記しているとはいえ、当時の日本社会では男女の自由な関係が保たれ、女性が財産を持つ自由や離婚する自由など、さまざまな自由を通して多くの人生経験を身に着けることが可能だったことがよく分かるかと思います。
さらに時代をさかのぼった中世においては、「旅する女性」はわれわれが今日常識的に想像するよりもはるかに多かったようですね(その目的はさまざまであるが)。
今年の暮れから来年の秋にかけて、ふたご座の人たちは改めて自分なりの「自由」を取り戻していく終わりと始まりの交錯期に入っているのですが、今週はよく歩きよく手を動かしていく中で、そのとっかかりをつかんでいきたいところです。
無縁者と仲良くなるか、無縁者となるか
縁結びと縁切りとが、人にとって本質的な振る舞いである以上、家出、離婚などを契機に発現する無縁の原理もまた、時代によって変わることのない普遍的なものと言えます。
その観点からすれば、人間社会の有縁(会社や一般的な社会生活などの分かりやすく明るい「世俗」)の側面のみを見ることは不適切であり、両者をともに捉え、その相互作用を見ていくことはみずからの生(性)を深めていく上で欠かせない過程なのだと言えます。
なお、こうした縁・無縁の呼吸を自ら生きた者を、歴史家の網野義彦は「無縁者」と呼び、具体的には遍歴する職人、禅律僧、非人、悪党、遊女などが存在しました。
現代における占い師や芸能者、アーティストなども当然これらの無縁者の系譜にあたる訳ですが、今のあなたはそうした類の人々と接近していくか、あるいは、自らが無縁者となることで、この世の見方を深めていくのかを決める時にあるのでしょう。
汚穢の中にある者こそが、神聖なる存在である。そんな感覚を、実地で経験していく時です。
今週のキーワード
歩き巫女