やぎ座
存在感と顔について
BeingとDoing
今週のやぎ座は、「寒鴉己が影の上におりたちぬ」(芝不器男)という句のごとし。あるいは、何をするかよりも、いかに在るかということを意識していくような星回り。
寒鴉(かんがらす)とは冬のカラスのことで、大抵単独で行動している。「己」は「し」、「上」は「へ」と読ませる。
このカラスは、おそらくゴミ捨て場を漁ったり、夕焼け空を「カー、カー」と鳴きながらのんきに飛んで、人間の滑稽さを演出する道具となり果てるような真似はしないでしょう。というより、そういう場面がまったく想像できないような重厚な存在感を放っている。
このカラスは実際にいたものというより、作者の想像の産物と考えた方が納得がいきます。
そして、作者はそんな想像上のカラスに、自身の在り様を重ねていたのかもしれません。
掲句のように、いかに在るか(Being)という設定をきちんと深めていければ、何をするか(Doing)という仕様は後で自然と決まってくるものです。今週は自分のよりも設定にこそ、自分なりの世界観をきちんと反映させていくといいでしょう。
レヴィナスの考察
かつては「人間、四十になったら自分の顔に責任を持て!」と言われたものです。しかし現代のように平均寿命が大幅に延びた時代においては、いかにいい顔になって、それを保っていけるかが、人間として生きていく上での重要な課題となってきました。
この顔ということについて、興味深い問いかけを行ってきた人にレヴィナスがいます。彼によれば顔というものは正直者だが無防備であり、慎み深い露出を行っている、本質的に<貧しい>ものである。
人が格好をつけたり、整形したり、自己防衛的にクールを装うのも、実はこの貧しさを隠すためなのだという。
その上で、レヴィナスは「ひとの顔は、ただそれだけで意味がある」と言っている。つまり顔というものは、本来見られるだけのものでも、他者の視線によって意味づけられるものでもなく、それ自体で自己のすべてを語るものであり、おのずと対話的関係を作っていく。
だからこそ、顔は他者に対して隠すことなく開かれ、語り、応答することを通して「責任」あるものとなっていくのだと。今週は、そんなレヴィナスの言葉を頭の隅において、自分の顔を開いていくといいでしょう。
今週のキーワード
顔に伴う責任