やぎ座
逆さまになっていく
意識を先回りしているソレのほうへ
今週のやぎ座は、ソクラテスの問答術のごとし。あるいは、自身の非知や無関心を認め、意識のゼロポイントにまで立ち返ったり、逆に立ち返らせていこうとするような星回り。
近代ヨーロッパ思想の源泉としての古代ギリシャ哲学を代表する人物であるソクラテスの、執拗に相手に食い下がり、黙らざるを得ないところまで追い詰めていく問答スタイルについて、哲学者の古東哲明は「人間主義、つまりソフィスト(近代)の根幹」に対するアンチテーゼだったのだと言及しています。
一般にソフィストは単なる詭弁家と誤解されがちですが、実際には各方面の教養や最新の学識をもち、人の世の道にも通じた当世一流の知識人たちでした。ただし、「世界や生を、人間という間尺で解釈する立場」に立って、「人間の関心や生存を中心にして、非知・無関心で自然や世界を切断する」点で、ソクラテスとは立場が異なっていたのです。
すなわち、彼らソフィストの宇宙の人知や道徳を超越した中立性(無関心)や、その根源的分からなさ(非知)を認めていなかった点に対して、ソクラテスは頑として対抗し、「汝自身を知れ」を自身の真理探究の出発点としたのであり、古東によれば、その意味するところは以下のようになると。
意識主体(自我、理知的主観)を可能にし裏づけながら、そんな主体の専制を同時に脅かすような両義性をもつのが、「汝自身」。反省し意図し意識するぼくたちの顕現的な自己性(理知性)というものが、いつもすでにソレに先を越されており、しかもソレに支えられているのが、汝自身(自己)というもの。だから原理的に意識主体(顕現的自己)には収まりがつかない自己自身。(『現代思想としてのギリシア哲学』)
ソクラテスの問答とは、そんな「非知で、意識下の、不断に人間的理知や意志や対象化の作用から逃れていく」ようなリアリティへと沈黙とともに連れ出していくための術だったのです。
8月4日にやぎ座から数えて「小さな死」を意味する8番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、意識を呑み込む無意識的な位相へと、どれだけ自身のたましい=実存姿勢を向け変えていくことができるかが試されていきそうです。
「さかさまの植物」としての人間
ソクラテスの弟子のプラトンは人間を「天空の植物」と喩えたことがありましたが、12世紀のスコラ哲学者コンシュのギョームは逆に植物を「木々は自分たちの頭である根を大地に埋め込み、そこから栄養を摂取する」という言い方で表した上で、「逆に人間は、同様の頭を中空に露出している。なぜなら人間はおのれの霊性を糧として生きるからである」と述べていました(エマヌエーレ・コッチャ『植物の生の哲学―混合の形而上学―』)。
実際、植物は根を通じて、自分が浸っている世界をめぐる情報の大半を獲得し、地中生活のリスクや問題を管理しているようですが、果たして人間は自分の魂の糧となる「霊性」すなわち重要なインスピレーションをキャッチするための「根」をどこまで張り巡らすことができているのでしょうか。
また、その一方で植物が「葉」を通して光を使って酸素と栄養をつくりだすように、人間は霊的なコミュニケーションを通して得たインスピレーションを日々の生活の中で、みずからの成長のきっかけや周囲を生かすための働きに変換できているのでしょうか。
今週のやぎ座もまた、自分がいま生き物として枯れかかっているのか、ぐんぐんと伸び広がっているのか、改めて問い直してみるといいでしょう。
やぎ座の今週のキーワード
健全に生きるって何だろう