やぎ座
山に入る
選んだ孤独はよい孤独
今週のやぎ座は、「普通の生存の一様式」としての蒸発のごとし。あるいは、どこかで「人間の消滅」ということを疑似体験していこうとするような星回り。
民俗学者の柳田國男は、数千年来の庶民の暮らしやその口伝を研究した『山の人生』のなかで、「生活の全く単調であった前代の田舎には、存外に跡の少しも残らぬ遁世が多かった」のだと述べた上で、現代の私たちにとっては珍しいことでも、昔は「なんの頼むところもない弱い人間」や「いかにしても以前の群とともにおられぬ者」にとっては「死ぬか今ひとつは山に入るという方法しかなかった」のであり、蒸発ということも起きてはならないことと言うより、「普通の生存の一様式」であったのだと指摘しています。
人にはなおこれという理由がなくてふらふらと山に入って行く癖のようなものがあった。少なくとも今日の学問と推理だけでは説明することのできぬ人間の消滅、ことにはこの世の執着の多そうな若い人たちが、突如として山野に紛れ込んでしまって、何をしているかも知れなくなることがあった。自分がこの小さな書物で説いてみたいと思うのは主としてこうした方面の出来事である。
現代人には、むしろこうした「山に入る」機会や選択肢が必要なのではないかと思うことがありますが、とりわけ劣等感や自己承認欲求を持て余している人などは、長い人生の中で一度は「ふらふらと山に入って行く」ような体験があるほうが自然なのではないでしょうか。
7月28日にやぎ座から数えて「ひとりあること」を意味する5番目のおうし座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、一時的にであれ俗世との関わりを断ってみたり、遁世の術をかましてみるべし。
部屋ごもり期
アイルランド人の作家ベケットは、40歳になろうかという頃に、本人がのちに<部屋ごもり期>と呼んだ集中的な創作活動期に入り、それから数年のあいだに代表作『ゴドーを待ちながら』を含めた彼の業績の中でも最も優れた作品群を書き上げました。
彼はその時期の大半を、世間と隔絶した自室で過ごし、ひたすらおのれの内なる悪魔と向きあい、心の動きを探ろうとしたのだそうです。どうして彼はそうした特殊な生活を始めたのか。彼の評伝によれば、それはあるときふとひらめいて始まったのだと言います(ふらふらと山に入った)。
深夜にダブリンの港近くを散歩していた時、自分が冬の嵐のさなかに、ふ頭の端に立っていることに彼は気付いた。そして、吹きすさぶ風と荒れ狂う水にはさまれて、とつぜん次の事実を悟った。
自分がそれまでの人生で、あるいは創作で必死に抑え込もうとしていた暗闇は、自分の目標とも一致せず、実際まるで注目されることもなかったけれど、じつはそれこそが創造的インスピレーションの源なのだ、と。
今週のやぎ座もまた、これまで抑え込んできた魂の暗い側面こそが自分の最も優れた側面なのだということを、いったん受け入れてみるといいでしょう。
やぎ座の今週のキーワード
デーモニッシュに