やぎ座
やんごとなき他力
ギリシャ悲劇的な意志観
今週のやぎ座は、暮らしのなかのギリシャ悲劇的なるもののごとし。あるいは、手綱のきかない暴れ馬のごとき現実にまたがったまま、フーッと力を抜いていくような星回り。
悲劇が盛んに作られ、語られた古代ギリシャには、個人の自立を絶対的なものと考える現代の私たちがイメージするような意味での「自由意志」をあらわす言葉さえありませんでした。その点について、ギリシャ学者のヴェルナンは『ギリシャ思想の起原』において、悲劇における登場人物たちには加害者である側面と被害者である側面が混ざり合っているけれど、それらは決して混同されることなくその両方の側面があるのだという、大変重要な指摘をしています。
もちろん近代的な考え方ではそんな矛盾した立場は認められませんが、ヴェルナンは運命の強制力と人間の意志の力の両方を肯定していくところこそが、ギリシャ悲劇の不思議さであり、魅力なのだと考えたていたのです。
例えば、『オイディプス王』において、オイディプスはダイモーン(神霊)によって引き起こされた自身の身に起きた不幸(そうとは知らずに父を殺し母を娶った)と自分で引き起こした不幸(絶望して目を潰した)について、同時に語りつつも、決してそのどちらか一方を他方のせいにしたりはしませんでした。
コロス:おお、恐ろしいことをなされたお人、どうしてこのようにお目を損なわれた。いかなる神がそそのかした。
オイディプス:アポロンだ、友よ、アポロンだ、この、おれのにがいにがい苦しみを成就させたのは。だが眼をえぐったのは、誰でもない、不幸なこのおれの手だ。なにとて眼明きであることがあろう、眼が見えたとて何一つ楽しいものが見えぬおれに。(ソポクレス『オイディプス王』)
7月12日にやぎ座から数えて「小さな死」を意味する8番目のしし座に金星(平和と調和)が入っていく今週のあなたもまた、いつも以上に「自由意志」を超えたところで自分を突き動かしている何かにいっそ身を委ねてみるといいでしょう。
「用の美」の条件
例えば民藝運動の父・柳宗悦は、その土地土地の風土に根差した民衆の暮らしの中で、日常的に用いられてきた民芸品にこそ美を見出し、そのエッセンスとして「用の美」を提唱していったことで知られていますが、そこには柳なりの厳しい基準がありました。
まず観賞用ではなくあくまで「実用性」があり、「伝統」と「地域性」が感じられるもので、誰もが買い求めやすいものであること(「廉価性」)などなど。中でもその中心的な価値として考えられたのが、「他力性」だったように思います。
つまり、ひとりの個人の力によって成り立っているものではなくて、風土や自然の恵みによって支えられ、また女性や男性、大人と子どもなど複数の異なる人の手を借りて、繰り返し作られていったものにこそ、柳は「用の美」の真髄を見ていったのです。
ひるがえって、いまのあなたはどうでしょうか?自分の生活や生き方のどこに「他力性」の入りこんでくる余地はあるのか。あるいは逆に、どのようにして「美しい自力性」へと自分を固めてしまっているのでしょうか。今週のやぎ座は、そんなことを考えつつ、自分をだんだんほぐしていく流れへとおのずと向かっていくことになるはずです。
やぎ座の今週のキーワード
開かれる制作