やぎ座
不自然さの解消
「同類」とは何か
今週のやぎ座は、エスキモーの異類婚姻譚のごとし。あるいは、狭義の意味での仲間や家族といった概念の壁を崩していこうとするような星回り。
東北地方に伝わる馬と娘の悲恋にまつわるオシラサマ信仰に限らず、昔から日本では人間と動物は現代人が思っているよりもずっと近い存在として見なされてきましたが、同じアジア圏のエスキモーには、哺乳類ですらない「かにと結婚した女」という民話があります。以下、その短縮版のあらすじを小澤俊夫の『昔話のコスモロジー―ひとと動物との婚姻譚―』から引用してみます。
美しい娘をもつ漁師がいた。娘は若者たちが求婚してきたが、すべて断った。ある夜、娘の寝ている毛皮の帳の蔭から奇妙な笑い声が聞こえた。両親は、娘が大きなかにと結婚していることを知った。しかし、かには恥ずかしがって、いつも帳の蔭に隠れていた。やがて冬になり、父親は「娘が立派な漁師の若者を選んでいたらよかったのに、こんなに役立たずの婿をもって、なんとも恥ずかしい」という。ある吹雪の日に、祝い歌とともに、三頭の大きなアザラシが家に投げ込まれた。かにが人間の姿をして漁に出かけ、獲物を持ち帰ったのだ。古老の話では、「生き物はみな人間の姿と形になることができる」という。それ以来、かには妻とその両親のために獲物を獲り、一家はなに不自由なく暮らした。
この異類婚姻譚について、小澤は「これは異類婚ですらないのかもしれない」という大変興味深い解釈を示しています。人間の娘とかにの結婚ではありますが、異類のあいだの結婚ではなく、同類としての人間とかにの結婚といった方がよく、その根底には「人間をほとんど動物と変わらないものとして考える思想」があったのではないかというのです。
6月29日にやぎ座から数えて「コミュニティ」を意味する4番目のおひつじ座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、自分や人間をあくまで自然の中の一部として、あるいは動物の一種として見做してみることで、日常において何かとつきまとう不自然さを少しでも解消していくべし。
みだりに図式化や単純化をしないこと
哲学は世界記述の新しいジャンルであり、詩のようなものだと考えた数学者で哲学者のホワイトヘッド(1861~1947)は、彼自身こよなく愛したイギリスの大詩人ワーズワースについて、次のように書いています。
もちろん、誰も疑わないことだが、ワーズワースは、ある意味では、生物が無生物と異なることは認めてはいる。しかし、それは、かれの眼目ではない。ワーズワースの念頭にあるのは、丘にたれこめる霊気である。かれのテーマは、全体相の自然だ。すなわち、われわれが個体とみなすどんなばらばらの要素にも刻印されている、周囲の事物の神秘的な姿を強調するのだ。かれは、個々の事例の色調にふくまれた自然の全体をいつも把握する。(『科学と近代世界』)
そう、私たちが住んでいるのは、信じられないくらい複雑で錯綜した世界なのであって、人間と動植物、精神と肉体といった「わかりやすいもの」が別々にあったり、他のものと無関係に独立している訳ではなく、まずはじめに、「なんだか分からないけれど、ここで自分も、とめどなく複雑な何かに関係している」という感覚的把握があるのではないでしょうか。
その意味で、今週のやぎ座もまた、対象と自分を切り離して分析する自然科学的なものの見方を超えられるか、いかにそれを示せるかということがテーマとなっていきそうです。
やぎ座の今週のキーワード
「全体相の自然」を捉えること