やぎ座
肚をきめるということ
のろのろと
今週のやぎ座は、『胸重く片蔭戻る人の恩』(石塚友二)という句のごとし。あるいは、背負うべき重責や問題から逃げずに正面から向かっていこうとするような星回り。
「片蔭(かたかげ)」は夏の午後の強烈な日差しから逃れられるような日陰のこと。この句は一読しただけでは大意がやや読み取りにくいですが、これは作者が出版業で困窮していた頃の作で、自句自解には次のようにあります。
水原先生(秋桜子のこと)が無印税で書下ろしの原稿の出版を許された上、その本を届けたのに対し代金は払われて、熟熟申訳なく、自分の腑甲斐なさ、重恩に値しない愚鈍さに胸塞ぎつつ、私はのろのろと片蔭の街を歩き戻つたのである。(『現代の俳句12』)
人の恩をうけたそのことに胸が重いというのは、相手になみなみならぬ迷惑をかけている自覚が本人にあるからこそであり、当然すぐにでもその恩に報いたいがそれが当面は不可能であることが作者にはよく分かっていて、そうしたどうにもならない苦しい状況でも肚をきめて顔をあげた時の人間の真剣味が掲句から伝わってくるはず。
それは私小説を書いている者特有の誠実な度胸のようなものとも言え、またどこまでも自分の苦しみを受け止めようとする人間の尊さとも通じていますが、今日ではそのどちらもがあまり賢い生きざまとは見なされなくなって、特に若い人たちには尊重されなくなってしまったように思います。
6月21日にやぎ座から数えて「向き合うべきもの」を意味する7番目のかに座に太陽が入っていく(夏至)今週のあなたもまた、ときには時代と逆行してでも誠実な度胸をもって面倒事にぶち当たっていきたいところです。
安倍清明と戻橋
今年の春に、生誕1100年を記念して公開された『陰陽師0』で再びスポットライトが当たった人物に、後世の陰陽師たちから陰陽道の神として祀られた安倍晴明がいますが、彼については面白いエピソードがあります。
陰陽師が呪術をかけるときに使う神霊ないし鬼である式神を、清明の奥方がとても怖がってしまったために、仕方なく使わない時は京都の一条戻橋のたもとに十二の式神を封じ込めておいたというのです。
この戻橋というのは、単に鬼が徘徊したり、封じ込められていたりするだけでなく、『源平盛衰記』で平家没落の託宣が下された有名な場所で、代々天皇や貴族の栄枯盛衰が占われてきた場所でもあり、ある意味で非常に重苦しさや緊張感の漂う場所でもあって、清明は占いをするときは必ず戻橋まで行って占いをしていた訳ですが、時には掲句のようにのろのろと胸を傷めながら向かったり戻ったりした時もあったのではないでしょうか。
同様に、今週のやぎ座もまた、人間の苦しみを受け止めるのにふさわしい自分なりの場所に足を向けてみるといいでしょう。
やぎ座の今週のキーワード
非日常的な境界領域