やぎ座
外に出よ
春の月の色気
今週のやぎ座は、『外(と)に出よ触るるばかりに春の月』(中村汀女)という句のごとし。あるいは、ルナティックとエロティシズムに引っ張られていくような星回り。
春の月は秋の月と比べると特別祀られることもなく、会社帰りなどにふとした時に気づくものですが、作者はちょうど通りに誰もいないシチュエーションで坂の上にひょっこり顔を出したおぼろ月とでも出くわしたのでしょう。
春の湿気でやわらかく潤んだ月を見て、作者は思わず「外に出よ」と家に引きこもっている町の人びとに呼びかけてしまった訳ですが、それは月が卵の黄身のようになまなましく、今にも天からこぼれ落ちそうになっている瞬間を、みなで目撃しなくてはと感じたのかも知れません。
もちろん、そんな風に感じている時点で、作者はどこかルナティックになっている訳ですが、月にはそれだけのエロティシズムがある。つまり、月は一見何もやらないようでいて、実はその裏側で何かが行われている。けれども、それを後ろ手で隠して私たちには決して見せない。月にはそういう粋なところがあって、ただ春の月は、後ろに回していた手をちらっとこちらに見せてくれそうな隙のようなものがあって、それが私たちを惹きつける訳です。
3月25日にやぎ座から数えて「世間との関わり方」を意味する10番目のてんびん座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな春の月のようなある種の「危うさ」を醸し出していくことになっていくはず。
八方転びの玉のように
仏教の教えの中に「如意宝珠(にょいほうじゅ)」という霊験を表す宝の珠が出てきますが、これを宗教家の出口王仁三郎は「八方転びの玉」(『水鏡』)と言っていました。
つまり、人が来て、それに突き当たってころんでも、いささかの角もないために、人を傷つけることもなければ、わが身を傷つけることもない。そういう状態まで磨き上げられた人の心のことを言っているのでしょう。
もちろん、これは一つの理想ですから、最初から心が玉のような状態にある人などいませんが、そのつもりで外へと転がってみろ、と出口は言っているのです。ちょうど掲句に詠まれた「春の月」のように。
人の心は遠心的ですから、外へ外へと向かっていこうとするし、それを内へと引っ込めてしまえば狭い胸がなお苦しくなってきてしまう。だから外へ心を転がして、そこで何か思いがけない事件が起こったとしても、雨や風が吹きすさんでいるくらいに考えたらよい。本来そこで何が起こったとしても、あなた自身の価値が傷つけられることは一切ないのだ。そのことに気付くか気付かないかの違いだけなんだ、と。
今週のやぎ座は、そうした「惟神/かんながら(「神でいらっしゃるままに」「神として」の意)」に念頭に置いていくくらいでちょうどいいでしょう。
やぎ座の今週のキーワード
佐保姫