やぎ座
すべてを知ることは難しい
怖れと不安と驚嘆と
今週のやぎ座は、ゲーテ流の自然研究方法のごとし。あるいは、この世にはどうしたって不可解なものがあって、そうしたものをきちんと畏怖していこうとするような星回り。
ゲーテの『ファウスト』やさまざまな詩篇などに触れたことのある人なら、ゲーテによってとらえられた自然が、五感によって観察された科学的事実だけでなく、生命の本質である「創造と破壊」など、生きて活動する生命の深奥にあるものを象徴的に表したものであるということにも感づいているはず。例えば、そうした生命活動の本質としての「根源現象」について、『箴言と省察』の中に次のような断章があります(岩崎英二郎・関楠生訳『ゲーテ全集13』)。
根源現象が私たちの感覚に対して裸のままで出現すると、私たちは一種の怖れを感じ、不安にさえ襲われる
これは別の断章内にある「活動的な無知ほど恐ろしいものはない」という一句と突き合わせると、よりビビッドに現代日本のSNSを日常的に駆使する私たちにも響いてくるように思います。
ゲーテは健全な程度に「感覚的な人たち」がしばしば驚嘆を抱くのに対し、「活動的な無知」の持ち主は、最も高貴なものを最も卑俗なものと結びつけて、わかったと思おうとするのだとも述べています。いずれにしても、根源現象はわれわれ人間には直視しがたいものなのだとゲーテは考えていたようで、そういう現実を踏まえ、次のようにもアドバイスしています。
人間は、不可解なものも理解できるという信念を持ち続けなければならない。さもないと、探究をしなくなるだろう
3月20日にやぎ座から数えて「根本姿勢」を意味する4番目のおひつじ座で春分(太陽のおひつじ座入り)を迎えていく今週のあなたに求められてくるものも、まさに最後のゲーテの言葉に集約されているのではないでしょうか。その意味で、時々でも「自分は本当に何もわからないで生きているのだ」と言ってみるくらいでちょうどいいのかも知れません。
2つの宇宙を同時に生きる
例えば、ギリシャ人が「モイラ」と呼んだ運命は、乙女としての満ちていく三日月、多産な妻としての満月、老女としての不吉な新月といった月の満ち欠けの三位相の象徴であると同時に、運命の糸を紡ぐクロートー、その糸の長さを測るラケシス、そして糸を断ち切るアトロポスという3人の女神として表象され、神々でさえも彼女たちに縛られているのだと考えられていました。
つまり、ギリシャ人にとっての「運命」とは、今日一般にイメージされるような個人の人生という限られたスケールに留まらず、この世のあらゆるものが彼女たちの編み込んだ縦糸と横糸という空間と時間の配列に支配されているのであり、その法則に背いた者がいれば彼女たちはたちまち「正義の使者」となって調整および復讐が果たされたのです。
その意味で、いわゆる「運命の赤い糸」とは血塗られた呪縛に他ならず、いのちの重みをもって交わされた厳格な約束事としてのニュアンスが込められていたのだとも言えます。
そして、現代人があくまでひとつの宇宙の中で暮らしているのだとすれば、中世日本人や古代ギリシャ人たちというのは大宇宙(マクロコスモス)と小宇宙(ミクロコスモス)という互いに対応しあうふたつの宇宙を自然に結びつけながら生きており、例えば自分の身体に現れた湿疹や熱などの症状などもみな、大宇宙の影響によるものと考えられていました。
今日の社会では何かよからぬことが起きても「自己責任」として、あくまで当の個人の努力の不足や不注意などにその原因が求められ、おいそれと社会のせい世の中のせいと言えない空気が支配していますが、今週のやぎ座は、ひとつ彼ら中世日本人や古代ギリシャ人になったつもりで、おのれの生きる物語を大いに社会の仕組みや世の中の潮流と結びつけてみるといいでしょう。
やぎ座の今週のキーワード
大宇宙(マクロコスモス)と小宇宙(ミクロコスモス)とを結びつけること