やぎ座
得ていく私と消え去る私
私同士のズレの広がり
今週のやぎ座は、『雪ふるよ障子の穴を見てあれば』(正岡子規)という句のごとし。あるいは、「もう一人の自分」に目を明け渡していこうとするような星回り。
明治29年の暮れに詠まれた句。この年の11月には結核性の脊髄炎が悪化して、ほとんど歩行が困難となって床に臥せるばかりの生活に入っていました。
雪が降っていることは確認できるが、しかしただそれだけ。どれくらい積もっているかは自分では確かめられない。この時の雪は、当時の東京でも珍しいくらいの大雪だったそうですから、四国・松山出身の作者からすれば初めての出来事だったのかも知れません。
そばで世話をしてくれていた母や妹に、なんべんも雪の様子をたずねてはしゃいでいる作者の姿が容易に想像されますが、と同時に、この句を読んでいると、雪の静けさと寂しさとがないまぜとなって、作者のこころに次第に広がっていく様子も伝わってくるようです。
ここには、障子の穴から「雪ふるよ」と何度も口に出しながら、一見すると子供じみた無意味なことに熱っぽくこだわっている作者とは別に、それを見つめつつも、これまでの自分の生きた歳月を静かに振り返っている“もう一人の作者”がいるように感じられますし、おそらくそうした重なりあう自分同士のズレの広がりのようなものこそが掲句の主題だったのではないでしょうか。
12月20日にはやぎ座から数えて「あそび」を意味する3番目のうお座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、無意味なことや些末なことに熱心に関わってみなければ分からないような重みを、ふいにズシリと感じていくことになるかも知れません。
鈴と小鳥とそれから私
ここで思い出されてくるのが、金子みすゞの『私と小鳥と鈴と』という詩です。
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速く走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
最後の一文はよく知られたフレーズですが、その一行前には「鈴と、小鳥と、それから私」と書かれています。留意しなければならないのは、詩のタイトルや、冒頭の書き出しでは一番最初に置かれていた「私」が、「鈴と、小鳥と、それから私」では最後に置かれているという点。
いうなれば、金子みすゞはこの詩を通して、「得る」私から「消え去る」私へと振れていったのではないでしょうか。同様に、今週のやぎ座もまた、他ならぬ私においてそれくらいの振り幅を持っていきたいところです。
やぎ座の今週のキーワード
私の順番を入れ替えていく