やぎ座
ゴーーーーン!
生身の偶然性
今週のやぎ座は、『物指(ものさし)で背(せな)かくことも日短』(高浜虚子)という句のごとし、あるいは、極力余計な意味や目的を削ぎ落していくような星回り。
物差しで背中をかいたというだけ。「日短(ひ・みぢか)」とつぶやきながらも、特に意味もなく句は終わる。むろん、物差しで背中をかくことと、日が短くなったことの間には、さしたる意味のある関係はない。
だからと言って、むなしいとか淋しいといった情趣も感じられない。おそらく、何らの意図や目的をはさまずに、日常身辺の光景が思いがけずそこに在るようにと作者は句を作ったのかも知れない。
美しいわけでもなく、ドラマチックなわけでもない。特別な悲哀や、自然な人情が醸し出されているわけでもない。そうした、じつになんということのない日々を、どういう巡り合わせか作者は送っているのであり、そうした生身の偶然性そのものを取り出してみせたのがこの句の本質に違いない。
考えてみれば、日だけでなく、俳句の言葉も短い。作者は「梵鐘一打、響きはいつまでも伝はつてをる。さういふ句であるべきである」(『虚子俳話』)とも書いていたが、余計なことを一切言わずに済むというのも俳句の特質だろう。
11月24日にやぎ座から数えて「潜在的状態」を意味する12番目のいて座へと「行動力」を司る火星が移動していく今週のあなたもまた、そうした俳句の本質が自身の生き方や過ごし方にも通底させていくべし。
「ふと…」を味わう
高野文子の『バスで四時に』という漫画作品はただ単にバスでどこかへ行くという話で、その中に主人公の女性がバスの席に座っているところから始まる見開き2ページがあります。自分の目の前にシュークリームの箱があり、その中に8個入っていることを思い出した上で、「あちらが3人、あたし入れて4人。後から遅れてもうひとり、3つあまる…」などと計算していくのです。
そして、不意に前の座席の下のボルトを見る。ボルトを見ていると、連想が働いて「まわすのに どれくらいの 力が入るんだろう」と次第にねじ回しのイメージにズームアップしていき、このへんから発想が飛んでいきます。なぜか、油さしがあって、何だか分からないでっかい機械がガッタンガッタン動いているイメージになり、この機械が下から「ゴー」という音を立てて上がってきます。で、じつはこれはファスナーで、それを上まであげて襟を折る、というところで見開きが終わるのです。
普通こんなことをわざわざ作品にしようとは思いません。そもそも、こういうことを日常で経験しても、大抵はすぐに忘れてしまいます。けれど、彼女はふとした瞬間に、自分の想念がぜんぜん脈絡なく運んでいくイメージとか、その時間経過についてこれだけのコマと手間を使って描いている。それは、とても豊かで創造的なことなのではないでしょうか。
今週のやぎ座もまた、そんな風にふとした瑣末(さまつ)な日常の瞬間にこそ、もっとも味わうべき価値があるのだということをみずから示していくことがテーマとなっていくでしょう。
やぎ座の今週のキーワード
何でもないことほどわざわざ作品にする