やぎ座
花の消息
住するところなきを
今週のやぎ座は、『山茶花やいくたび訪(と)へば通ふなる』(藤井あかり)という句のごとし。あるいは、非在をじかに見ていこうとするような星回り。
秋の終わりから冬の初めにかけて咲く山茶花(さざんか)は、あっという間に咲いてはすぐに散ってしまうので、花が咲いていた痕跡は明白でも、なかなか花をつけている所や、ましてや花が散っていく様子を直接目撃することが滅多にできません。掲句もまた、そんな瞬間を目の当たりにしようと、何度も訪れているうちにできた句なのでしょう。
「訪ふ」は、ふつうは人間を対象に使う言葉ですが、ここでは山茶花に使われています。さらに、「通ふなる」というのも思いが相手に届いて成就することの意ですから、作者にとってそれは恋しい思い人との逢瀬に等しいものなのだということが分かります。
世阿弥は能の奥義を伝える『風姿花伝』において「住するところなきをまず花と知るべし」と書きましたが、「住する」とは私たちが所有している何かや、人から聞いたことや読んで得た知識から世界を見ている状態のこと。すなわち、持つことや知ることもできないところでこそ世界が花となって咲くんだよと言っている訳です。
そうすると、掲句で求められている山茶花の花(が散るの)を見るというのも、普通一般に日常生活でされているような見るものと見られるものの二項対立的な認識ではなく、「何かが見られる以前に見える」ことに他ならないのではないでしょうか。つまりそれは、不可視なるものに裏付けられているこの世界を、花として眺めるということなんです。
11月8日にやぎ座から数えて「眺め」を意味する11番目の星座であるさそり座後半に太陽が入って立冬を迎えていく今週のあなたもまた、世界が花になった時、自分も花になっている消息を追っていくべし。
何かが起こりそうな気配を捉える
現代社会に生きる私たちは、同じようなことばかり起こる日常の連続をごくごく平凡なことだとか、代わり映えしない退屈なことと思いすぎる傾向があります。
そこで、何か劇的な変化を求めてついつい変わったことをして有名になろうとしたり、とりあえず海外へ旅に行ってみたり、出会いを求めたり、家を変えたり、酔っ払らおうとしたりする。けれど、何かが起こりそうな気配の発生してくる震源地というのは、非日常ではなく、むしろ日常の中に埋没して在るものです。一見何も起こらない“閑静な”シーンにこそ、目を向けアンテナを立てるべき対象は潜んでいる。
例えば、「あの三流の付き人を演じているのは、一流の役者かも知れない」といった、「ひょっとしたら」の感覚。それが幾度か重なり、「まさか」の渦となって高揚し始めてきたとき、現実はあっけなくひっくり返り、スッとかすかな消息を残してどこかへ消えてしまったりする。今週のやぎ座は、そうした気配にぜひとも敏感になっていきたいところです。
やぎ座の今週のキーワード
気配の震源地