やぎ座
力の充実に向かって
徹底的に関わらざるを得ない
今週のやぎ座は、花のいのちに触れようとした中川幸夫のごとし。あるいは、「癒やし」をめぐる一般的なイメージの向こう側へと突き抜けていこうとするような星回り。
いのちにふれるというのは、乱れている相手を自分の内部に取り込むことだ
そう語るのは、伝説的な生け花作家・中川幸夫。彼がその名を轟かせた作品に『花坊主』(1973)があります。真っ赤なカーネーション900本の花をむしり、それをまるでうつ伏せになった女体の、胴体の下半分のような形をした大きなガラス壺に1週間詰めておくと、花は窒息するのだそうです。
そして腐乱したその赤い花肉を詰め込んだ壺を、真っ白なぶ厚い和紙の上にどんと逆さに置く。鮮血のような花の液が、じわりじわりと滲み出してゆく。そんな狂おしい光景。哲学者の鷲田清一が「ホスピタブル」なケアの現場をフィールドワークしつつ綴った『<弱さ>のちから』には、さらに次のような中川とのやり取りが記されています。
「お花を恨んだことってないですか?」
「ふふふ。恨むというよりは…言うことを聞いてくれませんしね」
「女のひとくらい、やっぱりむずかしいんでしょうか」
「そりゃ、もう、なんですなあ、なんとも言えないけれど」
中川を扱った章の表紙には、「血に染まる」「花と刺し違える八十二歳」とありますが、「癒す/癒される」という関係性も、彼にとっては「食う/食い破られる」といったものに近く、少なくともどちらかが一方的に関わって無傷でいられるようなものではないのでしょう。
その意味で、10月6日にやぎ座から数えて「対等な関わり」を意味する7番目のかに座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、もはや黙って素通りすることは許されない、徹底的に関わらざるを得ない何か誰かについて、改めて覚悟を深めていきたいところです。
エッカーマンにとってのゲーテ
後に文学史上にその名を刻む不朽の人生指南書『ゲーテとの対話』を書いたエッカーマンが、かねてよりその著書を愛読し、崇拝していた70過ぎの老ゲーテに会いに行った時、彼は29歳の凡庸な新進作家に過ぎませんでした。
ゲーテをしても、初対面の彼に時代を切り開く才を見出すことはできなかった代わりに、みずからの人生の記録係として彼以上の人物はいないと直感し、近くに住まわせ、10年にわたる親密な交流を築いていきました。その間ゲーテは彼にさまざまな教えを注ぎ込みましたが、一流の自然科学の研究者の立場から、自然との向き合い方について次のように語っていました。
自然は、つねに真実であり、つねにまじめであり、つねに厳しいものだ。自然はつねに正しく、もし過失や誤謬があるとすれば、犯人は人間だ
自然は、生半可な人間を軽蔑し、ただ、力の充実した者、真実で純粋な者だけに服従して、秘密を打ち明ける
ここには、現代人が失ってしまった畏敬の念というものがどんなものであるか、また何をもたらしてくれるのかが的確に述べられているように思います。そして、エッカーマンにとっては、ゲーテこそが何よりの‟自然”そのものだったはず。
今週のやぎ座もまた、自分にとって特別な相手との結びつきこそが人生の宝なのだということを、改めて感じとっていきたいところ。
やぎ座の今週のキーワード
つねに真実であり、つねにまじめであり、つねに厳しいもの