やぎ座
笑いにみずからを投げ込んで
談笑する女性たち
今週のやぎ座は、エチオピアの定期市のごとし。あるいは、緊張をみなぎらせることなく、男たちにやすやすと伍していこうとするような星回り。
文化人類学者の松村圭一郎の『くらしのアナキズム』によれば、エチオピアではどんな地域を旅をしても、決まってにぎやかな定期市に出くわすのだそうです。週に1~3日など、決まった曜日に市はひらかれていて、ふだんは何もない土がむきだしの広場にたくさんの人びとが集まって売り買いの攻防を繰り広げるのだとか。
興味深いのは、売り手にも買い手にも女性の姿が目立つという点。「5個くらいの鶏の卵だけを大事そうに袋に入れて足元におく人」もいれば、「都会から買いつけた衣服やアクセサリーを並べる行商人」もいて、市のはずれのお酒を売る店では、「男性たちにまじって女性の姿も」かならず見える。彼らは「生活の場のしがらみを離れ、市で息抜きを」しているのであり、それはいずれの顔もリラックスしていたり、朗らかに談笑していることからもよく分かるのだ、と。
こうした光景は、どこか日本の中世社会を連想させます。歴史家の網野善彦によれば、中世の自治都市では女性の社会的役割が大きかったし、海岸沿いの町でも、女性が海女として生産にたずさわるだけでなく、交易も担い、地位も高かったのだと(『無縁・公界・楽』)。網野はこうした当時の事情を女性の性そのものに宿る無縁性(超俗性)と関連づけて論じていますが、しかし市場や商業的な自治都市は支配権力と無関係の場所ではありません。むしろ、天皇や幕府や大名などの権威と結びつきやすかったがために、やがてその特権ははく奪され、国家のヒエラルキーのなかに取り込まれてしまいました。
網野によれば、それは自由と平和とより強く結びついた女性の非権力的な特質が敗北していく歴史でもあったのだといいます。その意味で、26日にやぎ座から数えて「社会的な望み」を意味する11番目のさそり座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、かつては日本でも見られ、今では海を隔てた遠いアフリカの地で見られる限りの光景を、どうしたら身の周りに取り戻していけるかということがテーマとなっていきそうです。
バフチンの「カーニヴァルの笑い」
ロシアの文学研究者ミハイル・バフチンは、生真面目で硬直的な公式文化に対立するものとして、民衆的な笑いこそが非公式的な民衆文化の本質なのだと指摘しましたが、そうした意味での<笑い>とは一体どんなものだったのでしょうか。
それはカーニヴァルに代表されるような祝祭の場に見られるような笑いであり、バフチンはその特徴として次の3点を挙げました。
①皆が笑う②皆が笑われる③アンビヴァレントである(①②を同時にある)
すなわち、皆が笑いもすれば笑われもするのが民衆的な笑い、カーニヴァルの笑いであって、そこでは一個人が滑稽なのではなく、世界全体が滑稽であるがゆえに笑うのです。
それは陽気な歓声をあげる笑いである一方で、愚弄する嘲笑でもあり、そうであるからこそ民衆は「生成途上にある世界全体からみずからを除外」せず、民衆もまた「未完成であって、やはり死に、生まれ、更新される」ことができるのです。バフチンは「近代の風刺的な笑い」と区別したこの笑いについて、人間を「否定しつつ肯定し、葬りつつ再生させる」のだ述べています。
その意味で、わが身の緊張をふるい落としていくことがテーマの今週のやぎ座もまた、そうしたアンビヴァレントな笑いの中にみずからを投げ込んでみるといいでしょう。
やぎ座の今週のキーワード
世界全体が滑稽であるがゆえに