やぎ座
まだ死ねない身であるがゆえに
感情の増幅
今週のやぎ座は、『老兵が草笛捨てて歩き出す』(竹岡一郎)という句のごとし。あるいは、みずからの人生に句読点を打っていこうとするような星回り。
物語の始まりなのか、終わりなのか、そのどちらでもあるような一句。
おそらくは、行軍について行けずに野に取り残された老兵でしょうか。軍服は汗と埃にまみれて汚れており、顔にも疲労と憔悴の跡がぬぐいきれない。思わず座り込んでいるうちに、たわむれに吹いた草笛が老兵の顔を変えた。
幼い頃の記憶を思い出して幸せな気分に浸ったのか。それとも、子に教えた草笛の記憶が、老兵に忘れてならない何かを引き出し、奮い立たせたのか。
老兵は決意を新たにふたたび立ち上がり、草笛を捨てて歩きだした。草笛を捨てさせたのは、希望なのか絶望なのか。いずれにせよ、ここでは「草笛」が老兵の人生に句読点をもたらし、さらなる展開をうながしたのであり、私たちには時おりこうした“句読点”が必要なのだと言えます。
12日にやぎ座から数えて「実感の深まり」を意味する2番目のみずがめ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、中途半端なまま宙づりになっていた思いを、きちんと腑に落としていくことで、自分自身にさらなる展開をもたらしていきたいところです。
『1973年のピンボール』のあるセリフ
村上春樹の初期作品『1973年のピンボール』に「無から生じたものがもとの場所に戻った。それだけのことさ」というセリフが出てきますが、これはその後の村上作品の主人公たちに通底していく根本情調でもあり、その時代の若者たちの心理を象徴するつぶやきでもあったように思います。
それは「未来」を先回りして否定的・消極的な結果を受け取っている「今」を生きている者の感覚であり、「どうせ」という言葉の語感にも近いものです。すなわち、「どうせ失敗する」であったり、自分もみんなも「どうせ死ぬ」というもの。
そこで思い描かれる未来は上昇曲線でもなければ水平的推移でもなく、どこまでも下降であり、ゆるやかな衰退に他ならず、したがって今はいつだって無常感において捉えられ、つぶやくごとにそれは哀感を帯び、やがてある時を境に“無常美感”とも言えるような甘美な自己憐憫に達していきます。
それは、不安や諦めをまぎらわしたり、忘れたりするのとは逆に、むしろいっそう深めて、純粋化し極限化していくことで、不安の深淵を確かめ、心の動揺を収束させていこうという心の自然な働きであり、どこか掲句の「草笛」とも通じるものがあります。
今週のやぎ座もまた、そうした心の動きに過激に酔うのでも、無視して退けるのでもなく、ちょうどいい塩梅で付き合っていきたいところです。
やぎ座の今週のキーワード
無常感にそっと寄り添う