やぎ座
複雑な色調を生きる
ファッションを超えて
今週のやぎ座は、『吾(あ)も春の野に下り立てば紫に』(星野立子)という句のごとし。あるいは、みずからの人生をシンプルにまとめあげていこうとするような星回り。
宝塚歌劇団の『すみれの花咲く頃』という曲に「すみれの花咲く頃/初めて君を知りぬ」という一節がありますが、春の野に萌え出る花の色と言えば、まずすみれの紫でしょう。
野に咲きわたるすみれの紫は、清潔な上品さの象徴ですが、それだけでなく色気や秘密、愁いなどを伴う色でもあり、作者の父である高浜虚子は『新歳時記』が「可憐なつつましやかな花である。紫にうつむいてさく」と描写しているように、微妙で複雑な心理をさりげなく素朴な仕草へと昇華していく色でもあります。
句の紫は、そうした非日常へのとば口の紫であると同時に、紫の着物を愛用しそれを普段から身にまとっている者の日常の紫でもあり、また単に視覚的な色彩というより、春の野全体から匂い立つような心理的な色調でもあり、そうして何重にも重ねられた紫が立体的に作者を包みこんでいるように感じられます。
おそらく、作者にとって紫という色はお気に入りのファッションという段階を超えて、みずからの生き様の表れのようになっているのかも知れません。その意味で、4月13日に自分自身の星座であるやぎ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自身の人生を貫く一本調子となっているものに気が付いていくことがテーマとなっていきそうです。
個体として在るということ
うつむいて咲くすみれであれ、着物をきた人間であれ、ひとつの個体と見なす限り、どれだけ人為的に設けられた分類やカテゴリーに押し込めようとしても、それら一つ一つはいつもそこから溢れかえっていく反乱そのものであり、揺らぎでしかありえないという意味で、その存在自体が「異他的であること(ハイブリット)の肯定」を示しているのだと言えます。
すなわち、個体とは揺らぎであり、不純であり、偏ったものでしかありえず、幾分かは奇形的なものでしかありえない。だからこそ、世界という問いを担う実質であり得るのだと。
そしてもし、そういう個体の実相を肯定するような倫理というものがあるとすれば、それは死の安逸さも、他者による正当化も、正義による開きなおりもありえない。たえず変化し続け、予測不可能な生成をうみだし続ける生の流れを、その過酷さとともにあらわにするものでなければならないでしょう。
今週のやぎ座もまた、きまりきった分類やモデルからたえず逸れていく自分自身を大いに肯定していくためのベースを固めていくことがテーマとなっていくでしょう。
やぎ座の今週のキーワード
揺らぎでしかありえない