やぎ座
日常からの抜け出しとしての手紙
バウマンのやり方
今週のやぎ座は、故郷の家族に宛てて手紙を書く紀行作家のごとし。あるいは、居ながらにして日常から抜け出していこうとするような星回り。
私たちが暮らす社会は、既にあらゆる不動の枠がはずれてしまい、人びとの目移りはとどまるところを知らず、きのう注目された事物はきょう忘れられ、きょう注目された事物はあした忘れられるような暮らしを余儀なくされているように感じます。
そうした私たちの生活ぶりについて、社会学者のバウマンは「常に流されて旅するしかなく、一ヵ所に静かに留まることは叶わない」のだと表現しています。では、そんな生活を送っている読者に対して、彼は本を通じて何を伝えようとしたのか。
彼はそれを「この上なくありふれた暮らしから紡がれた物語が白日の下にさらすのは、実は途方もないものだが、うっかりすれば見逃してしまう。そうした物語を真にありふれた物語にしたければ、一見ありふれたものごとを一度面妖な物語にしなければならない」のだという言い方で説明しているのですが、おそらくそれは他の何よりも「手紙を書く」という形式によって特徴付けられているように思います。
すなわち、一見ありふれた生活、何気ない出来事のように見える「身近なもの」「いつもそばにあるもの」「常に変わらぬもの」などを、ぬくぬくとまとわりついて感受性を鈍らせる日常性から切り離し、引き剥がしたうえで、その一つひとつを奇怪かつ不思議な謎として扱い、旅の風景を描き出す紀行文として伝えてみること。
2月14日にやぎ座から数えて「風穴」を意味する11番目のさそり座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、そんなバウマン式のスタイルを自分なりに取り入れてみるといいでしょう。
天の河はどこにあるか
日本の紀行文学の代表的存在である松尾芭蕉の『奥の細道』は、実際には芭蕉が旅をしてから5年ほどたった後に本にまとめられ、多くの創作的編集の手が入れられていたように、一度凝り固まった現実に風穴をあけようとすると、どうしてもそこには「想像力による個人的体験の改変」が行われていかざるを得ません。
例えば、越後で佐渡島に向かって詠まれたとされる、この句を見てみましょう。
『荒海や 佐渡に横たふ 天の河
Turbulent the sea― Across to Sado stretches The Milky Way.』
歴史的にも中央から疎外された政治犯などの流刑地であった佐渡島に臨んで、芭蕉はそこに「荒海」つまり人知を超えて運命を翻弄する力と浮かばれぬ思いを同時に見たのでしょう。そして、そんなままならぬ人間の姿の傍らに、あるようでない、ないようであるという絶妙な仕方で寄り添ってくれている「天の河」の荘厳な気配を感じ取った。
しかしこれも、実際の当時の星空を再現してみると、どうも天の河は佐渡島に横たわるように見えていたというより、垂直に見えていたのではないかと言われています。けれど、とにもかくにも芭蕉の心の眼にはそう見えていた。それが何より大切なことなのではないでしょうか。
今週のやぎ座にとって、そうした手紙を書く上でのコツのようなものを思い出していくことがひとつのテーマとなっていくように思います。
やぎ座の今週のキーワード
想像力による個人的体験の改変