やぎ座
真実としてのエロス
ソクラテスの恋
今週のやぎ座は、恋の狂気に憑かれた猫のごとし。あるいは、世間に対するあくせくとした営みをすっかり忘れて、もっと大事な狂気に心を奪われていくような星回り。
初春の季語に「猫の恋」という言葉がありますが、恋はなにも猫や若者の専売特許などではなく、古代ギリシャにおいては真の哲学者の証しでもありました。例えば、プラトンの対話篇『パイドロス』では、ソクラテスとアテネの若者パイドロスが、主に同性間におけるエロスをめぐって語り合っていきますが、その中で恋のはらむ狂気の側面を明らかに悪いものとして論じるパイドロスに対して、ソクラテスは真っ向から反論していきます。
ソクラテスによれば、私たちの身に起こる多くのよいことのなかで最も偉大なものはその狂気を通じて生じるものではないかと自論を展開していくのです。というのも、恋は神から与えられる狂気であり、恋する魂はイデアの知を愛し求める姿勢に通じるというのです。
この世の何びとをも、この美しい人より大切に思うようなことはない。彼は、母を忘れ、兄弟を忘れ、友を忘れ、あらゆる人を忘れる。財産をかえりみずにこれを失っても、少しも意に介さない。それまで自分が誇りにしていた、規則にはまったことも、体裁のよいことも、すべてこれをないがしろにして、甘んじて奴隷の身となり、人が許してくれさえすればどのようなところにでも横になって、恋いこがれているその人のできるだけ近くで、夜を過ごそうとする。(『パイドロス』)
なるほど、「恋いこがれているその人」をイデア(真実在)に置き換えてみれば、プラトンによって定立された「哲学者」という生き様というものがどれだけ凄まじいものだったのかということが実感できるのではないでしょうか。
29日にやぎ座から数えて「真実」を意味する2番目のみずがめ座の半ばに太陽が達して立春を迎えていく今週のあなたもまた、そうした狂気をこそ身に宿していきたいところです。
エロスの復権
英語のキューピッドと言えば、背中に翼をつけて恋の矢を放つ気紛れな幼児の姿を連想しますが、もともとはギリシャ神話のエロスであり、その最古の相においては人間的な愛というよりは、生きとし生けるものに宿命的な生の衝動を表していました。
例えば、紀元前5世紀に生きたソポクレスは、弓矢を帯びてないエロスについて次のように合唱隊に歌わせています。
負けいくさを知らぬエロス、富も宝も奪うエロスよ、
(…)不死の神々もひとりとして君を免れえぬ、まして命はかない人間はとわれて、狂うばかり。
合理的な理性や清らかな信仰だけでなく、名前のついていない感情や原始的で抑制のきかない本能を自己のうちに有する複雑な生きものである人間にとって、エロスは時に危険なダイモン(神霊)であり、幸ある運命を与える一方で、波瀾の生をももたらしたのです。
今週のやぎ座もまた、まるで止まっていた時間が流れ出すかのように、矮小化されたエロスが本来の姿を取り戻しては胸底からせりあがってくるのを感じていくことでしょう。
やぎ座の今週のキーワード
切に愛し求める