やぎ座
欠如の原理
<わたし>の否定としての触覚
今週のやぎ座は、「魂のパスゲーム」としての皮膚接触のごとし。あるいは、頭の中のアイデンティティなどよりも確かなモノがそこにあるのだと思い当たっていくような星回り。
いつからか商品はますますラップや包装に包まれ、また、他者とのコミュニケーションもまた、zoomやLINEなど「被膜ごし」でしか行えなくなりつつある私たちは、傷つくことをひどく恐れるようになっただけでなく、直接<触れる>ことの価値や豊かさをすっかり見失ってしまったように思います。
哲学者のミシェル・セールは、皮膚と皮膚が接触するところに<魂>が生まれるのであり、唇をかみしめ、額に手を当て、手と手を合わせ、括約筋(かつやくきん)を締めることでそれは初めて可能になるのだと捉え、さらに皮膚を通して<魂>をさらすゲームの中でこそ、人は自分の存在そのものに触れていくことができるのだとして、次のように述べました。
もし君が身を救いたいと思うならば、君の皮膚を危険にさらしなさい
もちろん、皮膚を危険にさらせば、必ずどこかで傷を負うことになるでしょう。けれど、そうして負った傷の分だけ、<わたし>は確からしくなっていくのではないでしょうか。その意味で、23日に自分自身の星座であるやぎ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、ゆっくりと真綿で絞めつけるように<わたし>を消していこうとする被膜をなんとか引き裂き、誰か何かに思い切って直接触れてみるべし。
吉野弘の「生命とは」
例えば、詩人が50代になってから書かれたこの詩は、どんなにがんばっても人は1人では生きていけないのだという実感に満ちています。冒頭部分だけ引用してみましょう。
生命は/自分自身だけでは完結できないように
花も/めしべとおしべが揃っているだけでは/不充分で
虫や風が訪れて/めしべとおしべを仲立ちする
生命は/その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界というのは、ちっぽけでささやかなことから出発するのでなければ、その全景はかえって見えてこないものだけれど、この詩はそうした想像力のお手本のように思えます。特に引用箇所の最後の2行には、厳しく慎ましやかな欠如への自覚と、実り豊かな<わたし>の享受とが見事に同居しており、生命における‟欠如の原理”がいきいきとした流動体のようになって詩人に注ぎ込まれているようです。
今週のあなたもまた、理屈ではなく体感としてこの世はじつに‟関係だらけ”なのだという真実に直面していくことでしょう。
やぎ座の今週のキーワード
<わたし>の否定=自分だけでは完結できないことへの自覚の促し