やぎ座
だんだん頭が消えていく
圧倒される感覚
今週のやぎ座は、『うしろから大寒(おおさむ)小寒(こさむ)夜寒(よさむ)哉』(小林一茶)という句のごとし。あるいは、重く暗いものをサッと受け止めていこうとするような星回り。
おそらく、作者の郷里である北信州のわらべ唄の一節から取られた一句。「小寒」は「冬至」の次の節気で、直近だと年明けすぐの1月6日、「大寒」は「小寒」の次で1月20日に迎えていきます。
年末年始の忙しさにかまけている内に、あっという間にやってきてしまうのがこれらの季節な訳ですが、掲句にはそんな風にさらりと流すことの決してできない土俗的な調べがあります。
特に「うしろから」がいい。これは東京のようなビルに囲まれた平野にいるとなかなか感覚的に分からないことですが、信州では家のそばでも振り返ればそこに山がある。しかも暗い冬山となると、何かとても文明の灯り程度ではどうにもできないような重く暗い存在感を放っていて、どうしたって圧倒されてしまう。その圧倒される感覚というのを、しかし掲句は実にさらりと伝えてくれています。
同様に、16日にやぎ座から数えて「神殿」を意味する9番目のおとめ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、頭ではなく身体でもって新しい年を迎えていくべく、感覚をそろそろ切り替えていきたいところです。
「非思量」ということ
禅の世界には「非思量」という用語があって、これは例えば中国・唐代の禅師・薬山惟儼(やくさんいげん)による次のような問答において記録されています。
ある時、薬山が深い瞑想状態で坐っていると、ひとりの僧がやってきて彼に尋ねた、「岩のようにじっと坐っていて、あなたは何を考えているのですか?」。師は答えた、「絶対的に思考できないものを考えている」。
僧「絶対的に思考できないものをどうして思考できるというのですか?」
師「非思考的思考、非思量によってだ!」
通常、人の意識というのは「X」であれ「〇〇」であれ、何かしらの対象を志向する在り方をしているものですが、先の問答にもあるように座禅の実践の第一の目的というのは意識の非志向的次元を探求することであり、その次元では人はモテであれ得であれ何かを「志向する」ことのない純粋な活動体となりえる訳です。
だからといってもちろんここであなたに座禅を勧めている訳ではありませんが、やぎ座にとって今週は、どこかでこうした「頭が消えていく感覚」へ接近していきやすいタイミングと言えるでしょう。
やぎ座の今週のキーワード
ずしんとすること山のごとし