やぎ座
祭り的な時空間
見ようとせずとも見えてくるもの
今週のやぎ座は、『籐椅子に深く座れば見ゆるもの』(星野高士)という句のごとし。あるいは、実際には見えるはずのないものが見えてしまうような星回り。
「籐椅子」は藤の蔓で編んだ夏向きの椅子で、粗い網目を風が通っていき、すべすべした感触がなんとも心地よいものですが、掲句ではそこに「深く座れば」おのずと見えるものがあるのだと言います。
そしてそれはおそらく、目に映るものだけではないのでしょう。人生の来し方行く末、いつかは自分にも必ず訪れる死、先にあの世で待っている人たちの顔。
そうしたものは、見ようとして見えるものではなく、偶然とびこんできた景色や音、言葉などを介して、さながら目の前に浮かび上がってくるかのように見えてしまうものであるはず。
その意味で、ここでいう「籐椅子」とは、本来見えるはずのないものが見えてしまうだけの諸条件が整った特別な時空のことを指しているのだと言えます。
27日にやぎ座から数えて「エッジ」を意味する9番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、死んだらどうなるんだろうといった、普段は考えることさえとうにやめてしまった周縁的なことがらについて、おのずと意識が向いていきやすいでしょう。
提灯もって橋を渡ってゆく女の子
日本では古くから各地で「行き逢い坂・行き逢い橋」という説話が伝えられてきましたが、これは或る土地の神と異なった土地の神とが出会ったところで、たがいの領土の境い目を決めるという話と、巫女の資格をもった村の女が周期的に巡りくる異人すなわち神を迎えに行く祭祀儀礼とが一つになったものとされています(折口信夫『女房歌の発生』)。
そうやってかつての日本人は直接見えるはずもなく関わるはずのない神と、じかに交通する時空間を「祭り」という形で定期的に経験する機会を保ってきた訳ですが、野山の精霊の存在さえも信じられなくなり、代わりに死ねば無になるといった素朴な唯物論的科学を信じるようになってしまった現代日本において、そうした神と交通できるような時空間の設定は、すっかりレアなものとなってしまいました。
ただ今週のやぎ座であれば、冷笑的な笑いとともに自我の面の皮を厚くする代わりに、「特殊な時空間」のなかで祝祭的な感覚を取り戻していくことができるかも知れません。
やぎ座の今週のキーワード
日常的な体験領域をはみ出す