やぎ座
わびと乱数
不毛さの最中での試み
今週のやぎ座は、こぞって茶会を開いた戦国人のごとし。あるいは、緊張を緩和し余裕をつくりだすための哲学をあらためて定立していこうとするような星回り。
室町期の200年は、たえず戦乱が続いた流血と下剋上の時代でしたが、そんな中でも、いやそんな中だからこそ、街では茶の湯が大流行し、茶がひとつの文化として定着し始めていきました。
とはいえ、当時の茶会というのは、茶を楽しむと同時に、政治やいくさのための緊張度の高い密談がなされていたようで、その様子については例えば以下のような記述があります。
陰謀や激論に血走った眼や興奮した頭を静めるために、床の間には花がいけられ、茶室のわびた部屋は、薄暗くされていた。(…)情報を集め、密議をこらすために茶会が開かれる。しかし、それだけでなく、茶器を鑑賞し、茶を味わい、主人の振舞を楽しまなければならない。その余裕を持つことがたまらない魅力だった。だからこそ、戦国の人々は、危機の中で、決死の思いで時間をつくり、茶会を開いたのであった。(海野弘、『緑の川の旅人 慶長茶湯秘聞』)
そして危機という意味では、現代もまた絶えざる他者との不毛な競争を強いられる社会であり、相手をだしぬき他を押しのけてでも利をとることが否応なく求められる時代にあって、私たちもまた、「足りないことを楽しみに転換する」という「わび」の哲学やその実践としての“わび茶”の現代版を必要としているのだと言えるのではないでしょうか。
6月7日夜にやぎ座から数えて「生に対する哲学」を意味する9番目のおとめ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自分自身だけでなく周囲の人をなぐさめ、安らかにできるような文化やコンセプトを暮らしにインストールしていきたいところです。
乱数的な自然のふるまい
20世紀の物理学は、生命というものがそれまで考えられていたほど数学的でも予測可能なものでもないのだということを、電子のふるまいを研究していく中で発見してきました。
それは例えば一本一本が乱数的に並んでいる若草のように、実際に目にするとなんだか美しく感じられてくる。これが、ペタンと規則的に並んでいたなら、かえってなんだか不自然に感じられるはず。そしてそれがおそらく、「競争に取り込まれること」のつまらなさの根底にある感覚なのではないでしょうか。
逆に言えば、定量化できない絶妙な“間(ま)”や、ひび割れや欠けなどの不完全さや未完成さの中にある、理屈からはずれた美しさをみずからの中に見出していくことこそが、茶の湯や「わび」ということのおもしろさでもあったはず。
その意味で、今週のやぎ座もまた、そうした乱数的な自然のふるまいに自分のふるまいの足並みをそろえていくことがテーマとなっていくでしょう。
やぎ座の今週のキーワード
自然はおもしろい、自然体もおもしろい