やぎ座
大地に雷が落ちる
古くて懐かしい空っぽさ
今週のやぎ座は、「エンプティネス(空っぽさ)」という言葉のごとし。あるいは、肩の力を抜いてただ誰かの器となることを自分に許していくような星回り。
グラフィックデザイナーの原研哉は、自身の創作活動において大事にしている概念として、「エンプティネス(空っぽさ)」を挙げていますが、これは禅仏教などで言われる「空(くう)」とも、「死んだら何も残らない」などという時の「無」とも違っていて、人間のイマジネーションを受け入れる「創造的な器としての空っぽ」ということを言っているのだそう。
また「シンプル(シンプリシティ)」のような一つの意図が誰にとっても分かりやすく機能やデザインに落とし込まれている状態とも違います。シンプルというのは、近代的合理主義と同時期に生まれた概念ですが、エンプティネスというのはもっと古くからあるもので、15世紀の室町時代にまでさかのぼる日本独自の文化的資産とも言えるかも知れません。
すなわち、余計な意図や情報をそぎ落として何もない方がいい、簡素さに伴う余白が人々の情感や情緒を受けれ入れる「ゆとり」になって、かえって豊かさを感じさせてくれるという考え方がその前提としてある訳です。
同様に、18日にやぎ座から数えて「受け皿」を意味する7番目のかに座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、自分を空っぽにすることで、そこに流れ込んでくる決定的な誰かのイマジネーションを受けとっていくことがテーマとなっていくでしょう。
「稲妻が走る」
例えば、鉄血宰相として知られ、19世紀ドイツ一帯をまとめて統一を実現させたビスマルクには非常に興味深い「受け皿」エピソードがあり、それは家族との会話として記録された次のような言葉の中に端的に表れています。
私はしばしば素早く強固な決断をしなければならない立場になったが、いつも私の中のもう一人の男が決断した。たいてい私はすぐあとによく考えて不安になったものだ。私は何度も喜んで引き返したかった。だが、決断はなされてしまったのだ! そして今日、思い出してみれば、自分の人生における最良の決断は私の中のもう一人の男がしたものだったことを、たぶん認めねばならない(互盛央、『エスの系譜』)
なんと、鉄血宰相としての重要な判断は、自分が考えて決断したのではなく、「自分の中のもう一人の男」がしたと言うのです。つまり、ビスマルクにおいては、「私が考えるich denke」という時の“考え”とは自分が意図的に案出したものではなくて、まるで「稲妻が走るes blitzt」ように自然と思い浮かび、時にはその内容に自分自身でも戸惑ってしまうような代物だったという訳です。
今週のやぎ座もまた、これまでのみずからの決断は「私ich」ではなく「それes」がしたのだと自然に思えるくらい、意識を「空っぽ」にしていきたいところ。
やぎ座の今週のキーワード
自分の人生における最良の決断は私の中のもう一人の男がしたものだった