やぎ座
尊いとはどういうことか
こちらは6月14日週の占いです。6月21日週の占いは諸事情により公開を遅らせていただきます。申し訳ございません。
二つの自己認識の重なり
今週のやぎ座は、志賀直哉の「ナイルの水の一滴」という文章のごとし。あるいは、みずからの存在の“尊さ”を直感していくような星回り。
現代の日本人は「死んだら無になる」という死生観が多く語られますが、それは単に近代科学的・物質的な考え方から出てきている訳ではなくて、ある種の無常感や死生観から出てきているようにも思えます。例えば、志賀直哉が晩年につづった次のような短文。
人間が出来て、何千何万になるか知らないが、その間に数えきれない人間が生れ、生き、死んで行った。私もその一人として生れ、今生きているのだが、例えて云えば悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので、その一滴は後にも前にもこの私だけで、何万年溯っても私はいず、何万年経っても再び生れては来ないのだ。しかもなおその私は依然として大河の水の一滴に過ぎない。それで差支えないのだ。
ここには二種類の自己認識が語られていて、ひとつは自分は数えきれない人間の生き死にによって生じる「悠々流れる大河の一滴」に過ぎない、というもの。もうひとつは、しかしその一滴は「後にも前にもこの私だけ」だという一回限りの唯一無二だという自己認識です。
少なくとも、恩師である漱石の訃報に触れて書かれたともされるこの文章を書いたとき、志賀の頭にはそういう「一滴」は決してむなしいものではなく、それ自体意味のあるものという確信があったのではないでしょうか。
18日にやぎ座から数えて「叙事詩的感性」を意味する9番目のおとめ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自身の死生観をまざまざと浮き彫りにさせていく機運が高まっていくことになるでしょう。
おのれを内に求むる
近代アメリカを代表する思想家エマーソンは「おのれを外に求むるなかれ」を座右の銘にしていたそうですが、彼の著書『自己信頼』を読んでいると、その背景には、彼が「自分にとって自分の心の奥で真実だと思えることは、万人も真実だと信じること―それが普遍的精神というものだ」と堅く信じていたことがいかに大きかったかが分かってきます。
ここでそれをもう一歩押し進めるならば、たとえ自分以外の誰もがその背後に何も有意義な意味を見出さず、特別なことなど何もないと判断したとしても、あなた自身がその背後に生起している力の気配や未来の胎動を確かに感じているならば、それこそ、あなたが求むるべき「おのれ」に他ならないのだ、ということ。
やぎ座にとって、今週は変化への「兆し」や「予感」がとても強まってくる時です。気を散らさず、ひとりの時間をしっかり確保して、自分の内面へと没入していきましょう。
やぎ座の今週のキーワード
何かを尊いと感じられる場所に「おのれ」を置いていくこと