やぎ座
亡命と製作
ノーマンとして
今週のやぎ座は、サイードの語る「知識人」の条件のごとし。あるいは、闘う個人としての本質に立ち返っていくような星回り。
『知識人とは何か』の著者であるエドワード・サイードは、パレスチナ人としてエルサレムに生まれ、カイロで教育を受け、プリンストンとハーバードで学位をとった越境的キャリアの人であり、西洋植民地主義によって辛酸をなめさせられてきた背景の持ち主でもありました。
サイードは知識人にも、インサイダータイプとアウトサイダータイプの2つに分けることができるとした上で、その詳細について次のように述べています。
いっぽうには現状の社会そのものにどっぷりと浸かり、そこで栄耀栄華の暮らしを送り、反抗とか異議申し立てだのという意識にとりつかれることもない人びと、いうなればイエスマン。もういっぽうにはノーマン、すなわち社会と角突きあわせ、それゆえ特権や権力や名誉に関するかぎり、アウトサイダーとも亡命者とも言える個人。
続けて、サイードは後者を知識人たらしめる最たる条件として「比喩としての亡命」ということを挙げた上で、それを「安住しないこと、動きつづけること、つねに不安定な、また他人を不安定にさせる状態」から後戻りしないでいることに他ならないのだと結論づけるのです。
13日にやぎ座から数えて「風通しをよくすること」を意味する3番目のうお座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、自分にとって「越境」とは何を意味しているのかを問うことで、ひとりの周辺的存在としての自覚を深めていくことができるかも知れません。
自然と空気が漏れだすような
例えば、詩人の最果タヒさんはイラスト詩集『空が分裂する』のあとがきで、自身が詩を「なんとなく、書き続けてきた」経緯について、次のように振り返っています。
創作行為を「自己顕示欲の発露する先」だという人もいるけれど、そうした溢れ出すエネルギーを積極的にぶつける場所というよりは、風船みたいに膨らんだ「自我」に、小さな穴が偶然開いて、そこから自然と空気が漏れだすような、そんな消極的で、自然な、本能的な行為だったと思う。誰かに見られること、褒められること、けなされること、それらはまったく二の次で、ただ「作る」ということが、当たり前に発生していた。
この「自然と空気が漏れだすような」というところなどは、きっと越境していく際に、つまり、アウトサイダーな知識人として在り続けていく上で、とても大切な感覚なのではないでしょうか。
どうしても人と同じ道を歩めない自分を、平凡な装いで隠すのでも、過剰な賞賛で塗りたくるのでもなく、ただそういうものとして受け止め、息をするように自然に打ち出していく。“知識人”などといった呼称は、あくまでその結果に過ぎず、そうした運動の反復こそが越境ということの本質なのでしょう。
今週のキーワード
安住しないこと、動きつづけること