やぎ座
いかに負けるか
芭蕉と蕪村
今週のやぎ座は、「此道や行人なしに秋の暮」(松尾芭蕉)という句のごとし。あるいは、これまで必死に“問題”だと思っていたものがそっと解消されていくような星回り。
芭蕉より一世代後の俳人・与謝蕪村はこの句に基づいて、後に「門を出(いづ)れば我も行人秋のくれ」という句を詠みました。
秋というのは物も人も動きが活発になって盛んに行き交っていく季節ですが、そのことを念頭に置きつつも、これら二つの句はじつに対照的です。
蕪村の句は私たちは同じなんだ、一歩出ればみんな「行き交う人」であり、しばらくの間、あっちに行ったりこっちに行ったりしているだけなんだ、ということを示唆している訳ですが、芭蕉の句になるとこれが逆にひっくり返っていきます。つまり、誰も行き交わなくたって、秋は暮れるということを詠っている。
この場合「行き交う」とは、自分という心の道の上を忙しなく起こる心配や悩みや思考のことであり、ただ、そうやっていくら自分が悩んだって、心配したって、逆にまったくしなくたって、同じなんだと言っている。同じなら、心配しないで放っておけばいい。それでも時は流れ、秋は暮れるんです。
17日にやぎ座から数えて「責任と重圧」を意味する10番目のてんびん座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、何かこれを自分の手で解決しなければならないと思っていることをちょっと置いて、気を楽にして大きな力に委ねてしまいましょう。掲句の「行人なし」とは、そういう試みでもあったはずです。
「To lose to gain(失うことこそ得ること)」
近代日本では「勝てば官軍」という考え方が基本となっていますが、今でも忠臣蔵の赤穂浪士や白虎隊、源義経そして新撰組などが大変な人気で日本人に深く愛されているのは、やはり「国破れて山河在り」といった敗北の美学が根底にあるからではないでしょうか。
3・11以降の日本社会は、まさにそうした「敗北力」が試されてきたとも言える訳ですが、この10年ばかりどうも結果的に日本人は「敗北力」のなさを露呈し続けてきたように思います。「勝つ」方に舵をきって、それを一番効率的に実現できる方法を見つけ、みんなでそれに乗っていこうとしてきた。失敗に蓋をして、すぐに前を向いて歩き始めてしまった。だからこそ、いつまでも心のなかに悩みや心配が行き交い続ける。
そうじゃないだろう。もっと自分たちのしでかした失敗を受け止め、繰り返された負けを拾って、しっかりと失敗の型をこしらえてから、成功というものを考え直すのでなければ、3・11以前から日本が抱えていた閉塞感は本当の意味で払拭されていかないのではないか。
先の「大きな力に委ねる」とはそういう試みのことであり、今週のやぎ座の人にとってもまたそうした敗北力が試されるときがやって来ているように思います。
今週のキーワード
敗北力