やぎ座
我も世界も流れゆく
無常なる人間世界
今週のやぎ座は、陳子昂(ちんすごう)の『幽州台に登る歌』のごとし。あるいは、自分の人生全体を眺め渡していくような星回り。
唐のはじめに生きた陳子昂は政府の役人であると同時に詩人であり、当時おこった北方の異民族の反乱への対応策を提出したところ、取り上げられるどころかむしろ身分を下げられてしまい、その無念さからこの詩を詠んだとされています。
「前不見古人 前(さき)に古人を見ず
後不見来者 後(のち)に来者を見ず
念天地之悠悠 天地の悠悠たるを念(おも)い
獨愴然而涕下 独り愴然(そうぜん)として涕(なみだ)下る」
ここで言う前・後とは時間の流れのこと。前方に歩んでいったはずの先人の姿は見えず、後方から追いかけてくるはずの未来の人の姿も見えない。ひとりぼっちである自分は、天地の「悠悠」として永遠に微動だにしない姿に、思いを集中させる。そうしてたえず変化する人間である自分を思い、悲しみに打ち砕かれて、涙があふれる。
これはただみずからの不遇や不条理を嘆いているというより、もっと広く、人生全体、人間全体のついての感慨をうたったものであるように感じられます。
7月5日に自分自身の星座であるやぎ座で満月が起きていく今週のあなたもまた、これまで自分がどんな姿勢でこの世界と向き合ってきたのかということが自然と浮き彫りになってくるはず。起こった事実そのものに囚われず、その本質に迫っていきたいところです。
霊と魂
風は目に見えず、突如としてあらぬ方向から吹いてくるし、強くなってはなぎ、すぐに方向を変え、予測や予断を許しませんが、古代ギリシア語ではそんな風のことをプネウマと呼んでいました。普遍的な実体としての「霊」のことです。
そして西洋哲学では、そんな風や霊がよどんで情念として沈殿した状態が、個別的な魂(プシュケー)であり、自分が自分であることの中核なのだと考えられてきました。
そこでは、確固とした自分を持つことだとか、どんな風にもびくともしない堅牢な教会のごとき業績を残すことが、崩れにくい「優れた個人」の見本とされてきた訳ですが、冒頭の漢詩の精神がまだ生きているところのある日本では、その基準もまた異なってくるはず。
そういう意味で、今週のやぎ座はもっとゆらめいたり、しなったり、情勢に応じてどこかへ流れていってしまうような流動体のようなアイデンティティへと、少しでもシフトしていけるかどうかが問われているのだと言えるかも知れません。
今週のキーワード
時代精神としての風