やぎ座
顔が語るところのもの
仮面の月光浴
今週のやぎ座は、<慎み深い露出>としての顔のごとし。あるいは、自分の顔をただそれ自体で存在させていくような星回り。
かつては「四十になったら、自分の顔に責任を持て」ということがよく言われていたものですが、これはそれだけ顔というものが、そのときの生活や生き様を正直に映し出す“厳しい鏡”のようなものと見なされてきたということでもあります。
例えば、哲学者のレヴィナスは「顔はおよそ正直なものだが無防備であり、慎み深い露出を行っている、本質的に<貧しい>ものである」(『倫理と無限』)と述べていますが、ここで言われている貧しさとは、<傷つきやすさ>と言い換えてもいいでしょう。
ただし、私たちは普段そうした素顔を、部長とか母親とか恋人などの他者から意味付けられる肩書きや役割を使って覆い隠しており、あまりにそれら場面ごとに使い分けられる仮面と素顔とを癒着させてしまっているようにも感じます。
6月6日にやぎ座から数えて「どこでもない場所」を意味する12番目のいて座で、満月を迎えていく今週のあなたにおいては、そうした癒着から脱したところで<見られる>ことを意識せず、自らの貧しさや傷つきやすさを露出させていくことがテーマになっていくのだと言えるでしょう。
詩人はなぜ詩を書くのか?
それに対する最も説得力のある鍵は「恥」の感情でしょう。
つまり、ぬぐってもぬぐっても汚れの落ちきらない不快な傷跡だから、言葉で飾ってつかのまの安堵を求めるのであり、だから詩人の書き上げる詩の透明度とは、すなわち人生の汚染度であり、言葉になった珠玉の数はすなわち恥の数に他ならないのだと言えます。
恥の上に恥を重ね、それを捨てることもできずにずるずると引きずり、数えきれない恥を数珠のように繋ぎあわせながら、未練がましくそれを首に巻いて歩いていく。
そしてそれもまた、先の言葉でいう「慎み深い顔の露出」に他ならないのかも知れません。レヴィナスは別の箇所で、次のようにも言っていました。
「顔とは殺すことのできないものであり、少なくとも『汝殺すなかれ』と語りかけるところに、顔の意味がある」
今週のやぎ座は、この言葉をよくよく胸に刻んでいくといいでしょう。
今週のキーワード
見られることを意識し過ぎないこと