やぎ座
鬼のお面をかぶる
分断を超えていけ!
今週のやぎ座の星回りは、失われた‟固有の声”を取り戻していくよう。あるいは、想像力を駆使して、越境的態度を作りあげていかんとすること。
今や世界はすっかり分断に満ちてしまった。社会のあらゆるところに誰かの引いた境界線が横たわっていて、何も考えずのんきに歩いていれば必ずどこかで誰かの“虎の尾”を踏んでしまう。
だからそういう世界で行動し続ける限り、境界はますます再生産され続けるだろうし、小さな声は大きな声にどんどんかき消されていくだろう。
そうした無限ループながんじがらめな状態から、少しでも自由であろうとするならば、まず分かりやすい“当たり前”の影で押し潰されている小さな声に気付いて、そこに耳を傾け、同時に自分自身のなかの小さな声、固有の声を取り戻していくことが必要だ。
もちろん、それは容易なことではない。どれだけ真摯に境界を見つめ、それをやっと超えられたと思っても、その先には必ずまた別の境界があったりするのがこの世界でもあるから。
それでも、これまでも多くの人がそこでニヒリズムに陥ることなく、さまざまなやり方で分断を乗り越えてきた。その方法は、人の声の数だけある。
22日(金)にやぎ座から数えて「失われたもの」を意味する12番目のいて座へと太陽が移っていく今週のあなたもまた、自分なりのやり方で境界を越えんとする“珍道中”を、できうる限り楽しんでいきたいところ。
憎まれ役を買って出る
例えば、「かくれんぼ」などの遊びにも登場してくる「鬼」というのは、神に逆らい平和を乱す反逆者ということになっており、そのため鬼は疎まれ、避けられる、世間の憎まれ役でもある。
ただ、昔話における鬼の在り様を注意して見ていくと、たいてい“神”を滅するほどの力は持たないながらも、多数派や征服者側に服従することをよしとしなかった「まつろわぬ民」や敗残者のメタファーにもなっていることに気が付いていく。
恐らく、鬼の側に立つことから逃げている限り、単純な勝ち負けの二元論を超えるような視点や、表も裏も呑み、分断を超えていかんとする行動は生まれてこないのではないか。
逆に言えば、みずから自分に鬼となることを許可していけるのは、それ自体が越境的態度であり、幾つもの境界を乗り越えていくだけの成熟の証しなのだと言える。
もちろん、憎まれ役を買って出るのは心理的にかなりの抵抗が伴なうが、今のあなたならばそれもまた自然な流れなのだと感じやすいだろう。
今週のキーワード
はみ出さないと、生み出せない。